ごろねこ倶楽部

 私が幼い頃、好きだったまんがは『あめん坊』である。ヒーロー物の中では『七色仮面』が好きだったが、まんがよりは実写の映画が好きだったと思う。雑誌で読むまんがでは『あめん坊』が一番であった。
 『あめん坊』は角界を舞台にした「ゆかいまんが」で、朝風部屋に入門した新弟子・あめん坊の日常を面白おかしく描き、実在の関取たちも登場する。当時の私が相撲に興味を持っていたとも思えないが、力士と野球選手は少年たちのアイドルであった。有名力士たちに囲まれて暮らし、失敗しても皆に可愛がられているあめん坊に、憧れと親近感を覚えたのだろう。
 あめん坊がなめている大きなキャンディー(あめん棒=ペロペロ・キャンディー)も、じつに魅力的だった。当時の私はそんなキャンディーを見たことがなかった。あんなキャンディーをなめてみたいと思う気持ちが、このまんがを好きな一番の理由だったかも知れない。
 といっても、私が『あめん坊』を読んでいた期間は短く、話数は少ない。おそらく連載開始から一年少しの期間のうち、三分の一ほどの話数だと思う。あめん坊が上京してきて国技館か相撲部屋の前に立つシーンは覚えているから、その記憶が正しければ連載第一回のはずである。ところが、幼稚園児であった私は、毎号掲載誌の「少年画報」を買っていたわけではない。何か特別なことがあったときに親などに買ってもらっていたのである。したがって三カ月に一度ぐらいのわりだと思う。そして、小学生になった私はすぐに転居することになるが、転居先で「少年画報」を買った記憶がないから(なぜか「少年」や「少年クラブ」に変えてしまった)、話数にして五、六話を読んだにすぎない。
 しかし、『あめん坊』の記憶は、その後もずっと残っていて、作者が「平川やすし」であることも知った。それまで、『あめん坊』の作者の名前すら知らなかったのである。
 だが、高校生になった私が『あめん坊』をもう一度読みたいと思っても、すでに不可能であった。当時なら、根気よく古本屋を探せば見つけることはできたかも知れないが、少なくとも近所の古本屋には見当たらなかった。また、平川やすしのまんがを読みたいと思っても、すでに平川やすしというまんが家はいなかった。『あめん坊』に熱中していた頃から、わずか十年しか経っていなかったが、まんが雑誌でその名前を見かけることはなかった。まんが同人グループの友人たちでさえ、だれひとり平川やすしを知らなかったのである。

 ということで、遅ればせながら、私がまんがファンになる契機となった作品の作者である平川やすし氏のファン・クラブを、ささやかに開設したい。
 個人的に作品を読む以外の活動は何もしないが、平川氏に関する情報をお寄せいただければ幸いである。

 平川やすし氏の経歴について私は何も存じ上げない。「少年画報大全」(監修・本間正幸)に次のような記述がある。
 ……(「金星金太」の)連載中、平川は後に「少年画報」編集長となる菊地喜格と共同生活していたが、その当時平川は十八歳だったというから驚きである。……

 また、『あめん坊』連載時のご住所は、東京都板橋区成増となっている。

 『金星金太』連載開始時に十八歳だとしたら、1938年頃の生まれとなり、もしご存命であれば六十代後半ということになる。それほど高齢というわけではない。だが、それが事実だとすると、『武蔵と清十郎』執筆時は十六歳となってしまう。桑田次郎や楳図かずおのように十代前半でデビューしているまんが家もいるから、不可能というわけではないが、それにしてもちょっと若すぎるようにも思う。デビュー作は不明だが、『武蔵と清十郎』執筆時に十八歳だったと考えるほうが妥当と思える。

 平川やすし氏の作家歴を推定すると、次のようになる。
・1936年生? ・1953年頃デビュー。 ・1956年『金星金太』、1960年『あめん坊』がヒット。 ・1960年代中頃に断筆? ・以後アニメ業界に転身。
 


私が情報として知る限りの、平川やすし作品は以下のとおり。所有しているのは下に画像を貼ったものだけである。

タイトル 初出等 備考
1953年 日蓮さま 太平洋文庫・漫画全集42 描き下ろし単行本・平川泰名義
1954年 塚原卜伝 太平洋文庫・漫画全集57 描き下ろし単行本・平川泰名義
泣くな雪之助 太平洋文庫・漫画全集75 描き下ろし単行本・平川泰名義
武蔵と清十郎 太平洋文庫・漫画全集95 描き下ろし単行本・平川泰名義
1955年 北かぜ三平 太平洋文庫・漫画全集148 描き下ろし単行本・平川泰名義※
丹下左膳 少年画報 不明
三日月剣士 少年画報 不明
魔剣道場 少年画報・7月号別冊付録 読み切り・平川泰名義
後藤又兵衛 少年クラブ・8月号別冊付録 読み切り・A6判
田宮坊太郎 少年クラブ・夏の大増刊号別冊付録 読み切り・松竹映画『振袖剣法』のまんが化
おてがら若さま 漫画王 不明
白馬の剣士 漫画王・11月号別冊付録 読み切り
王手飛車の助 野球少年 不明(益子かつみの代筆?)
1956年 無敵講道館 少年画報・1〜4月号連載 連載まんが
佐々木小次郎 少年画報・5〜7月号連載 連載まんが
金星金太 少年画報・8月号〜60年3月号連載 連載まんが・単行本全6巻(少年画報社)
1958年 デン助の拳闘王 日の丸・8月号別冊付録 読み切り・原作・中沢信
青空大将 日の丸・連載期間不明 連載まんが(58年10月号〜59年4月号以降?)
1960年 あめん坊 少年画報・4月号〜63年12月号連載 連載まんが・単行本全3巻?(東邦出版)
1964年 へんな子ちゃん 少年画報・1月号〜65年1月号連載 連載まんが
獄門帳 少年画報・1月号〜5月号連載 連載まんが・城宗房名義
初笑いテレビっ子 週刊少年キング2号 読切まんが?

★『日蓮さま』(表紙絵・太田二郎)

★『塚原卜伝』(表紙絵・太田二郎)

★『武蔵と清十郎』(表紙絵・太田二郎)

★『北かぜ三平』(表紙絵・太田二郎)

※『北かぜ三平』は、『まんだらけZENBU』30号(2006年3月10日発行)に成瀬正祐氏が執筆している「護美の砦」に拠ると、
平川泰名義にはなっているものの太田康介(=北風三平)が実作に当たっていた可能性が高いそうである。
構成面では他作品との違いはわからないが、全体に描き込みがあっさりしている。
とくに後半は主人公の顔が微妙に違っている。
絵コンテもしくは下描きの段階まで平川やすしが行い、後半のペン入れを他人に任せたと想像できるが、
それが太田康介かどうかは太田作品を見たことがない私にはわからない。
奥付の刊行年月日が1955年7月なので、
「少年画報」の同年7月号別冊付録『魔剣道場』、「少年クラブ」の8月号別冊付録『後藤又兵衛』、夏の増刊号別冊付録『田宮坊太郎』の仕事と重なり、
そちらに全力を注ぎたかったからだろうか。

★『魔剣道場』(少年画報)、『後藤又兵衛』『田宮坊太郎』(少年クラブ)、『白馬の剣士』(漫画王)

1955年7月号 1955年8月号  1955年夏増刊 1955年11月号
 

★『無敵講道館』(少年画報・別冊付録全2冊)『佐々木小次郎』(少年画報・別冊付録全2冊)

1956年新年号 1956年4月号 1956年6月号 1956年7月号

★『デン助の拳闘王』(日の丸・別冊付録全1冊)『青空大将』(日の丸・別冊付録全3冊?)

1957年8月号 1958年10月号 1958年11月号本誌 1958年12月号 1959年3月号

★『金星金太』(少年画報・別冊付録全20冊)

1956年10月号 1956年12月号 1957年1月号 1957年3月号 1957年5月号
1957年9月号 1957年11月号 1958年1月号 1958年3月号 1958年4月号
1958年6月号 1958年7月号 1958年8月号 1958年9月号 1958年10月号
1958年12月号 1959年1月号 1959年3月号 1959年5月号 1959年7月号

★『金星金太』(単行本全6巻)★

★『あめん坊』(別冊付録全12冊)

1960年5月号 1960年7月号 1960年9月号 1960年10月号
1960年11月号 1961年新年号 1961年5月号 1961年8月号
1961年9月号 1961年10月号 1962年新年号 1962年7月号

★『あめん坊』(きんらん社単行本全3巻?・東邦図書出版社単行本全3巻?)★

『あめん坊』の単行本はきんらん社と東邦図書出版社からそれぞれ全3巻で刊行されたらしい。
下の画像の1巻は東邦図書出版社版であり、私はこの第1巻とは違う表紙の第1巻を見たことがあり、この第1巻とは違う始まり方をしていたと記憶している。
東邦図書出版社から刊行される前に、きんらん社から刊行されていたのだった
収録話はダブっていなく、きんらん社版(全3巻?)の続きが東邦版(全3巻?)だと推測されるが、未確認である。
所有しているのは下の3冊のみ。

きんらん社第2巻  東邦図書出版第1巻  東邦図書出版第3巻 

★『獄門帳』(少年画報・別冊付録全2冊)

1964年2月号 1964年5月号 2月号中扉 5月号中扉

★平川やすし資料★
『漫画仕事人参上!!』(斎藤あきら)第27回「平川やすし先生編」「まんだらけZENBU」bU5(2014年9月15日刊)
『漫画仕事人参上!!』(斎藤あきら)第28回「平川やすし先生編PART2」「まんだらけZENBU」bU6(2014年11月15日刊)
漫画仕事人参上!!』(斎藤あきら)第29回「平川やすし先生編PART3」「まんだらけZENBU」bU7(2015年1月15日刊)
『漫画仕事人参上!!』(斎藤あきら)第32回「平川やすし先生編PART4」「まんだらけZENBU」bV0(2015年7月15日刊)
『漫画仕事人参上!!』(斎藤あきら)第41回「杉浦茂先生編PART7」「まんだらけZENBU」bV9(2017年1月10日刊)

★平川やすしファンクラブ/主な出来事と情報★
2004年秋・設立。
2005年1月27日・想田四さんより、城宗房は平川やすしの別名ではないかという指摘のメールをいただく。
7月30日・平川氏と親交のあったSさんより、城宗房は平川の別名に間違いないとのメールをいただく。
11月16日、午後4時過ぎにこのページへのアクセス数が突如上がり(1時間で約250)、管理人びっくりする。この時点で理由不明。
12月2日・TBSラジオ「伊集院光の日曜日の秘密基地」のスタッフの方から『金星金太』の謎に関するメールをいただく。
12月3日・同番組「秘密キッチの穴」コーナーに、『金星金太』の別冊付録を貸す。
12月4日・4時から約30分の放送。当クラブ名、初めて電波に乗る。
このときアクセスが集中(1時間で約400)したことにより、11月16日も番組で同じ話題の前フリをしていたためにアクセス数が増えたと判明。
2006年1月7日・Nさんより、平川氏の現住所は千葉県浦安市であるとのメールをいただく。ただし未確認。
1月中旬・古書店OKブックスの目録『漫録』60号記念号に「城宗房『獄門帳』に見えるもの」を発表。
2月12日・想田四さんより、伝聞情報のメールをいただく。
すなわち、平川氏はまんが家を辞めた後、トップ・クラフト(スタジオ・ジブリの前身のような会社)でアニメーターとして原画を描いていたとのこと。
東映の下請けで『マジンガーZ』などの原画を担当。名前が出ている回もあるらしい(未確認)。
劇場版『銀河鉄道999』(1979年)のスタッフの「動画」の中に、平川やすしとある。
4月23日・kenken50さんより情報。1967年頃、まんが家・土屋一平宅で平川氏に数回会ったことがあるとのこと。
どうやら、その時期、平川氏は土屋作品を手伝っていたらしい。
2007年10月12日・サイト「ヒロをぢのマンガ館」管理人ヒロをぢさんより『あめん坊』3巻を頂戴する。

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