ごろねこ倶楽部/まんがの部屋/か行の作家

 ★貝塚ひろし★

 1938年生。1957年『乞食と殿様』でデビュー。
 貝塚といえば、子供のときに貸本で読んだ
『くりくり投手』である。私は野球まんがには興味がないが、この作品は好きだった。栗山栗太郎の投げるドロカーブは、事実上野球まんがにおける魔球のルーツである。残念ながら貸本屋に全巻揃っていなかったので、通して読んではいない。雑誌で知ったヒット作は『ゼロ戦レッド』が最初だと思う。私は戦記まんがにも興味がなかったが、何となく読んでいた。つまり、貝塚は子供につい読ませてしまう力量の持ち主であったのだろう。ストーリー作りも絵柄も子供まんがの王道であった。当時の一番のヒットは『ミラクルA』ではないかと思う。この作品は連載当時は『九番打者』というタイトルだった。ここではそのときの画像を貼っておこう。さらに、掲載誌を変えて『0の熱球』というタイトルへと変わる。おおよそ野球を題材にしたり話に取り入れたりする作品などが目立つが、『あばれ王将』の将棋、『柔道讃歌』(原作・梶原一騎)の柔道や、SFから時代劇まで幅広いジャンルを、明朗な貝塚タッチで描いていた。私は『黒バットの記録』『番長特攻す!』『けんか石松』などの読み切りまんがが好きだった。明るく楽しいタッチの中にも泣かせどころを心得たストーリーが、子供心にも染みたものである。 

 
※画像データ (左から)『くりくり投手』(虫プロ・虫コミックス・1969年初版)、『風雲児ケン・地の巻』(きんらん社・刊行年不明)、『九番打者』(「週刊少年サンデー」1964年27号新連載時の扉絵)、『ゼロ戦レッド(1)』(秋田書店・サンデーコミックス・1977年23版)、『ラッキー9/スタープレイヤー誘拐事件』(みな書房・貝塚ひろし全集4・1968年初版)、『けんか石松』(「別冊まんが王」1968年夏季号掲載時の扉絵) 

★影丸譲也★ 
 1940年生。久保本實(本名は稔)名義の『怪獣男爵』(あたみ社)でデビュー。1961年、「冒険王」に『拳銃エース』を描き、雑誌デビューを果たす。後に影丸穣也と譲の字を変えた。2012年没。 

※画像データ (左から)『怒りの海』(東京トップ社・J・影丸シリーズ5・1963年刊)、『灰色の恐怖』(東京トップ社・J・影丸シリーズ8・1964年刊)、『叛く者』(東京トップ社・J・影丸シリーズ15・1965年刊)、『時効』(東京トップ社・J・影丸シリーズ19・1966年刊)、『真昼の暴走』(東京トップ社・J・影丸シリーズ21・1966年刊)、『硝煙牧場』(東考堂ホームラン文庫・刊行年不明) 


 ★一峰大二★

 1935年生。1955年『なぞのからくり屋敷の秘宝』(「少年」)でデビュー。初期には「てらだくにじ・寺田国芳」名義で描いていた。
 私が最初に読んだと思う一峰大二作品は
『卜伝くん』である。貸本屋で単行本を借りたと思うが、単行本を確認していないので、「冒険王」のバックナンバーで読んだのかも知れない。この作品はTVドラマ化されているが、見たかどうかは覚えがない。一峰ほどTV実写ドラマのまんが化を手がけていた人は他にいないのではないかと思う。初期には『七色仮面』『ナショナル・キッド』『白馬童子』など、後には『ウルトラマン』シリーズや『スペクトルマン』『怪傑ライオン丸』などがある。その他にも、とにかくヒーロー物を次々と描いていた印象が強い。時代劇からスポーツものやSF、ギャグまんがからシリアスな作品まで、当時の少年まんがの中心にいた作家であることは間違いない。TV化はならなかったが田辺製薬がスポンサーについたヒット作に『電人アロー』がある。アダルトな魅力を持った憂鬱なヒーローとして桑田次郎の『8マン』に並ぶ作品だと思う。原作付きの作品では、私は『黄金バット』が一番好きだ。じつは一峰の描く『ウルトラマン』などはあまりカッコよく見えず好きでないのだが、『黄金バット』は一峰の絵によく合っていたと思う。他には何といっても『黒い秘密兵器』が魔球ブームを起こした作品として面白かった。 

 

※画像データ (左から)『スーパー・ジャイアンツ』(「ぼくら」1959年6月号付録)、『白馬童子』(「冒険王」1960年7月号付録)、『卜伝くん』(「冒険王」1961年3月号付録)、『電人アロー(1)』(朝日ソノラマ・サンコミックス・1968年初版)、『黄金バット』(「少年コミックス」1967年夏の号・黄金バット特集号・扉絵)、『黒い秘密兵器』(「少年マガジン」連載時1963〜65年の扉絵) 


 ★勝川克志★
 1950年生。1976年、『私のお兄ちゃん』(ヤングコミック)でデビュー。
 杉浦茂のキャラクターをもっと可愛らしくデザイン化したような絵は、どうしてもジャンルを選んでしまうが、はまるとはまる作品である。私が勝川を知ったのは「マンガ少年」に描いていた頃ではないかと思うが、やはり絵に目が行ってしまいそれ以上の興味は持たなかった。その後もたまに目にしていたが、子供の頃の玩具を見るような気分で見ていたと思う。レトロでラブリー、ファンタスティックでセンチメンタル、そして何よりもノスタルジックな勝川作品をきちんと読むようになったのは、「ビッグコミックONE」の作品あたりからだろうか。単行本をすべて把握しているわけではないが、下の5作品以外には
『暗闇ライト』『ひらめきラメちゃん』があり、他に装画・挿絵を担当した児童書は、『宇宙人のいる教室』(金の星社)、『ハッピー・バースデイ!幽霊くん』(ポプラ社)、『正しい魔法のランプの使い方』(くもん出版)、『スパルタンXをさがせ!』(偕成社)など、多数の出版社から刊行されている。2007年に13年ぶりの単行本『少年幻燈館』を刊行し、続いて『おらあ庄太だ』の完全版として『庄太』を刊行した。勝川が描く少年時代は昭和30年代であり、作品の中には忘れられた時間や空間や人情が玩具箱のように詰まっている。同世代の読者はもちろんだが、勝川作品はむしろこれから幅広い読者に読まれていくのではないかと思う。世代は違っても、そこには普遍的な「思い出」や「懐かしさ」が溢れているからだ。
 

※画像データ (左から)『にこにこ影法師』(跋折羅社・1982年刊)、『豆宇宙珍品館』(たざわ書房・1980年初版)、『椿ちゃんの漫画百面相』(朝日ソノラマ・1981年初版)、『ぜんまい小僧』(跋折羅社・跋折羅劇画叢書6・1984年初版)、『おらあ庄太だ(1)』(芳文社・まんがタイムコミックス・1985年初版)、『まぼちゃん旅行記』(ヒット出版・1986年初版) 


★勝又進★ 
 1943年生。1966年、東京教育大学在学中に「ガロ」に入選。同誌に4コマまんがを連載し、その後、短編作品も執筆するようになる。2007年没。
 
※画像データ (左から)『わら草紙』(青林堂・1976年第2刷)、『ふらりんこん』(青林堂・1981年初版)、『桑いちご』(日本文芸社・1979年刊)、『ポンチくん』(辰巳出版・1982年初版)、『絵本 遠野物語』(高校生文化研究会・1983第1刷)、『赤い雪』(青林工藝舎・2006年初版第3刷) 

★桂正和★ 

 1962年生。1981年、『転校生はヘンソウセイ!?』(週刊少年ジャンプ」手塚賞準入選作)でデビュー。
 桂の
『ウイングマン』はTVアニメ化もされ、名前は知っていたが、お子さま向けヒーローまんがかと思い、読んだことがなかった。初めて読んだ作品は『電影少女』である。実写版映画をビデオで見て、原作を読みたくなったのだった。丁寧に描き込んでいる絵に好感が持てたが、とにかく「女の子」が魅力的だった。この作家は、全精力を傾けて「女の子」を描いていると思えた。基本的には「ヒーローもの」+「ラブ・コメ」の路線が多いが、どの作品にも桂のアイドル・タレントへの強いファン心理といったものが窺われる。『D・N・A2』の頃から絵が変わり、類似作家から一歩抜け出たように見える。ラブ・コメとしては、本当にアイドル・タレントになってしまった同級生との恋愛模様を延々と15巻描き続けた『I ''S(アイズ)』が、思春期時代の気分をよく表わした青春ドラマになっている。ヒーローものでは過去に描いた短編『ゼットマン』をヒントに、構想も新たに取り組んでいる『ZETMAN』が大傑作になりそうな予感がする。 

 
※画像データ (左から)『ウイングマン(9)』(集英社・ジャンプコミックス・1985年初版)、『超機動員ヴァンダーvol.2』(集英社・ジャンプコミックス・1987年初版)、『プレゼント・フロムLEMONside−B』(集英社・ジャンプコミックス・1988年初版)、『D.N.A2(1)』(集英社・ジャンプコミックス・1993年初版)、『SHADOW LADY(1)』集英社・ジャンプコミックス・1996年初版)、『ZETMAN(1)』(集英社・ヤングジャンプコミックス・2003年第1刷) 

★かどたひろし★ 
 生年不詳。1962年頃と思われる。1985年、『アヒル真昼に、翔びしゃんせ。』でデビュー。一時期、「富子海」の名を使っていたことがある。 
 
※『アヒル真昼に、翔びしゃんせ。』(スタジオ・シップ・1989年初版)、『シャッフル(6)』(秋田書店・1995年初版)、『相続人トモコ(1)』(大沢在昌原作・秋田書店・1996年初版)、『ウルフガイ(2)』(平井和正原作・ぶんか社・1996年初版第1刷)、『童〈マリア・ラウ〉華』(秋田書店・1996年初版)、『Doctor-]外科医・大門未知子(1)』(中園ミホ原作脚本・幻冬舎・2013年第1刷) 

★金田光二★ 
 1928年生。なつ漫太郎氏作成の作品リストによると、1953年、カバヤマンガ文庫の『幽霊ホテル』(無署名)がデビュー作らしい。金田光二として項目を立てたが、「有川旭一」名義の作品も多い。福井英一の急死によって『イガグリくん』を書き継いだときも有川名義であった。他に「大木一美・大木旭一・福島旭一・金田十目也」名義の作品がある。 
 
※画像データ (左から)『はやぶさ名探偵(1)』(アップルBOXクリエート・2004年復刻)、『ヒットくん』(「小学二年生」1960年6月号付録)、『有川版・イガグリくん(1)』(アップルBOXクリエート・2000年復刻)、『花の講道館』(「漫画王」1955年5月号付録)、『つばなり剣士』(「少年」1957年2月号付録)、『隠密の風』(「まんが王」1965年お正月大増刊号付録) 

 ★上村一夫★
 1940年生。1967年、『カワイコ小百合ちゃんの堕落』(「月刊タウン」創刊号)でデビュー。1986年没。 
 
※画像データ (左から)『密猟記』(ブロンズ社・初版)、『街の灯』(リイド社・SPコミックス・1979年刊)、『悪魔のようなあいつ(1)』(阿久悠原作・講談社・KCヤングレディ・1975年第2刷)、『修羅雪姫(1)』(小池一夫原作・竹書房・1985年初版)、『一葉裏日誌』(小学館・1986年初版)、『鹿の園』(ソフトマジック・マジカルコミックス・2002年刊) 

 ★鴨川つばめ★

 1957年生。1975年『ドラゴン危機一髪』(「週刊少年ジャンプ」)でデビュー。1980年『マカロニ2』の連載終了後、東京ひよこ」と改名した時期がある。80年代はほとんど作品を発表しなくなり、1988年『チュンチュンアレイ』で復帰したが、その後の作品数は極めて少ない。
 私はギャグまんがをそれほど読まないが、自分がギャグまんがでデビューしたこともあって、つねに「その時代で一番笑えるまんが」は押さえておきたいと思っている。昔のギャグまんがは実際には笑えなかった。愉快な心持ちになることはあっても笑えるというほどではなかった。赤塚不二夫の『天才バカボン』あたりからニヤニヤ度が高まり、『がきデカ』で笑えるようになったが、実際にプッと噴き出して声を上げて笑ったのは
『マカロニほうれん荘』が最初である。『マカロニほうれん荘』の中盤頃はセリフとコマ運びのテンポがよく、絵は凝っていながらもスピード感があった。ただ笑うだけではなく、私のようなマニアを唸らせる巧さにも満ちていた。だが、時代と感性がぴたりとはまり、鴨川は文字通り「時代を駆け抜け」てしまったのである。以後の作品はまったく笑えなくなった。ギャグは空回りし、絵には勢いが消えている。たとえば、ギャグよりもキャラクターを重視した作品とかシリアスなストーリーの作品とかに転向すれば、鴨川の作家生命は延びたのではないかと私は思う。しかし、気楽な読者の立場からすると、こうした伝説のまんがをリアルタイムで読めた喜びのほうが大きいのである。 

 

※画像データ (左から)『マカロニほうれん荘(4)』(秋田書店・SCC・1978年初版)、『ドラネコロック(1)』(秋田書店・SCC・1978年初版)、『ミス愛子』(秋田書店・SCC・1980年初版)、『マカロニ2』(秋田書店・SCC・1980年初版)、『DタウンCロック』(東京三世社・マイコミックス・1982年初版)、『プルプルぷろぺら』(秋田書店「月刊少年チャンピオン」1976年12月号の扉絵) 


★かわぐちかいじ★ 
 1948年生。1969年、「ヤングコミック」の『夜が明けたら』でデビュー。 
 
※画像データ (左から)『ハード&ルーズ(1)』(世界文化社・1999年第1刷)、『CABU/カブ(1)』(ワニブックス・1991年初版)、『沈黙の艦隊(2)』(講談社・1990年第1刷)、『心/COCORO(1)』(講談社・1997年第1刷)、『かわぐちかいじ全短編86〜02』(講談社・2003年第1刷)、『告白〜コンフェッション〜』(講談社・1999年第1刷) 

 ★川崎のぼる★

 1941年生。1957年、『乱闘・炎の剣』(日の丸文庫)でデビュー。すでに執筆活動は停止しているらしい。
 この「まんがの部屋」で紹介している作家は、みな私が好きな作家であるが、その作家の全作品に占める私が読んだ作品の割合が最も少ない作家は、おそらく川崎のぼるである。読んでいない作品が多々ある。代表作
『巨人の星』(原作・梶原一騎)は連載中に読んでいたが、その後、単行本で読み直すことは一回もしていない。まして続編は見たこともない。きちんと単行本で読んだ長編作は皆無といってもいい。だが、昔から川崎のぼるの隅々まで手を抜かずに描き込む絵には好感を持っていた。『巨人の星』のイメージからスポ根ものの印象が強いが、かなりギャグの要素を持ち込むのが好きな作家で、オリジナルでは『アニマル1』でもギャグの要素が強い。ギャグまんがの代表作は『いなかっぺ大将』で、多くの学年誌に描かれていたため全貌はよくわからないが、熱血まんがを意図していたらしい初期の頃(下の画像参照)とは主人公・大ちゃんの顔がまるで違っていく。とにかく、ギャグと可愛らしい絵とが、一方で川崎作品の特徴であった。私は、『浪人丹兵衛絶命』『殺陣師二代』などの作品集に収録されているユーモアとリリシズムがミックスした短編群が最も好きである。 

 

※画像データ (左から)『星空のちかい』(さいとうプロ・1965年刊)、『アニマル1(3)』(小学館ゴールデンコミックス・1969年初版)、『いなかっぺ大将(1)』(虫プロ・虫コミックス・1970年再版)、『タイガー66』(小学館ゴールデンコミックス・1968年初版)、『大魔鯨』(朝日ソノラマ・サンコミックス・1968年初版)、『ふきだまり』(オリオン出版・ポケットコミックス・1976年初版) 


★木下としお★ 
 1924年生。2018年没。(以下コメント予定) 
 

※画像データ (左から)『木下としおのみち草漫画集』(きの出版・2001年刊)、『木下としおのみち草漫画集2』(きの出版・2008年刊)、『小天狗彌太郎』(光文社「少年」1956年9月号付録)、『少年八犬伝』(講談社「ぼくら」1955年10月号付録)、『塙団右衛門』(「漫画王」1957年10月号付録)、『おなす捕物帳』(小学館「小学五年生」1958年8月号付録)


 ★樹村みのり★

 1949年生。1964年『ピクニック』(「リボン」増刊号)でデビュー。
 私が最初に読んだ樹村作品は、「COM」に掲載された
『おとうと』である。じつはそれ以前に「りぼん」のカラーシリーズで『ふたりだけの空』を読んでいたことを後で知ったが、読んだときは樹村という作者を気にもとめなかった。『おとうと』は幸子と昇平という姉弟を描くシリーズ(といっても3編しかない)となって続くが、その繊細な心情表現に惹かれた。樹村は、ありふれた人生のさりげなく過ぎていく時間にも、さまざまなドラマがあり、人の思いが込められていることを思い出させてくれる。次に「COM」に載った『解放の最初の日』は、ナチスドイツのユダヤ人収容所を描いた作品で、通訳となって生き延びた主人公の心の傷みが重苦しいほどに迫る佳作である。このテーマは後にゾフィア・ポスムイシの『パサジェルカ(女船客)』をまんが化した『マルタとリーザ』でもう一度描かれる。代表作は『菜の花畑』のシリーズだろうが、ともあれ、傷つきやすい子供の心情を繊細に描くのが樹村の持ち味である。『まもる君が死んだ』『悪い子』などの子供心は切なくなるほどである。母親と娘との関係を描く『カッコーの娘たち』や、女性同士の関係をストイックに描く『海辺のカイン』もいい。樹村の描く人物が「クスッ」と笑うとき、そこには百万通りの意味が隠れている。 

 

※画像データ (左から)『ピクニック』(朝日ソノラマ・サンコミックス・1979年初版)、『病気の日』(主婦の友社・ロマンコミック自選全集・1978年初版)、『ポケットの中の季節(2)』(小学館・フラワーコミックス・1977年初版)、『ローズバッド・ロージー』(新書館・1979年初版)、『菜の花畑のむこうとこちら』(ブロンズ社・1980年初版)、『悪い子』(潮出版・希望コミックス・1981年初版) 


ごろねこ倶楽部/まんがの部屋/か行の作家(2)く・こ

 ★倉多江美★

 1950年生。1974年、「少女コミック増刊号」に『雨の日は魔法』を発表してデビュー。 

 

※画像データ (左から)『ドーバー越えて』(朝日ソノラマ・サンコミックス・1977年初版)、『樹の実草の実』(白泉社・花とゆめコミックス・1977年初版)、『五十子さんの日』(小学館・フラワーコミックス・1978年初版)、『スプリング・ボード』(講談社・講談社コミックスミミ・1981年初版)、『上を見れば雲下を見れば霧』(主婦の友社・ロマンコミック自選全集・1979年初版)、『静粛に、天才只今勉強中!(11)』(潮出版社・希望コミックス・1989年刊) 


 ★くらもちふさこ★

 1956年生。1972年『メガネちゃんのひとりごと』(「別冊マーガレット」)でデビュー。
 私が初めて読んだくらもち作品は
『わずか1小節のラララ』である。蘭丸団というロック・バンドの青春を描く、その作品は他の少女まんがとは違って感じた。そこでその前作の『おしゃべり階段』を読んでみた。これは傑作だった。それまで、高校生の恋や悩みを描く成長物語では西谷祥子の『レモンとサクランボ』が一番だと思っていたが、その時点で『おしゃべり階段』に取って代わった。くらもち作品は繊細な心理描写を独特の表現法で描写するのが特徴だが、ファッション的にも時代の先取りをしていたように思う。ファッションのことは私にはよくわからないが、くらもち作品に登場するファッションを実際に真似して着ている少女を、当時、街で何人も見かけたことがある。以後、単行本化されたくらもち作品はすべて読んでいるが、『おしゃべり階段』以前と以後では、洗練の度合いが違っているように見える。ただ、その後、次第に読者の目を惹くセンセーショナルな題材に傾きかけている危惧を感じていた。あまりにも少女の悩みに偏って「男心」がパターン化して描けていないような気もした。それは第一線の少女まんがとしては仕方がないことだったのかも知れない。が、『おばけたんご』に至って、くらもち作品は何かターニング・ポイントを迎えたようだ。1995年の『天然コケッコー』は、それまでのくらもち作品にあった都会的でセンセーショナルな飾りをすべて捨て去り、のどかな農村に住む少女の日常を描いた作品である。その何の事件も起きないような日常に、個人にとっては何と多くの大事件が潜んでいることか。これは『おしゃべり階段』以降の、見事な達成であった。その後、くらもち作品の豊富な表現力に置いていかれないように、私も読者としての力を養っている。 

 
※画像データ (左から)『おしゃべり階段(2)』(集英社・マーガレットコミックス・1979年4版)、『わずか1小節のラララ』(集英社・マーガレットコミックス・1980年初版)、『100Mのスナップ』(集英社・マーガレットコミックス・1981年初版)、『いつもポケットにショパン(1)』(集英社・マーガレットコミックス・1981年初版)、『東京のカサノバ(2)』(集英社・マーガレットコミックス・1984年初版)、『天然コケッコー(1)』(集英社・ヤングユーコミックス・1995年第1刷) 

★九里一平★ 

 1940年生。1956年、『あばれ天狗』(嶋村出版)でデビュー。1962年に、長兄・吉田竜夫、次兄・吉田健二とともにアニメ制作会社のタツノコ・プロを創設し、まんがは1970年代頃からほとんど発表していない。1987年に、長兄・次兄に続いてタツノコ・プロの3代目社長となるが、2005年、タツノコ・プロがタカラの子会社となり、退任する。
 私が好きだった九里作品は、
『マッハ三四郎』『大空のちかい』である。『マッハ三四郎』は時期的に当時全部を読めたわけではないが、この種のスリルとスピード感のあるバイクまんがは初めてだった。バイクも他のまんがよりはリアルに見えた。『大空のちかい』は、三大少年週刊誌でそれぞれに看板だった戦記まんがのひとつだった。現在ではマガジンの『紫電改のタカ』、キングの『0戦はやと』より知名度では落ちるが、当時の私は『大空のちかい』を一番面白く読んでいた。じつのところ、私は兄の吉田竜夫作品と区別して読んでいなかったので、その個性の違いはよくわからない。九里作品でも扉絵や構成を吉田竜夫が担当していたり、吉田作品のアシストを九里がしていたりということがあったらしい。『マッハ三四郎』はじつは吉田が描いていたという証言もある。それはともかく、吉田・九里作品は当時のまんが界において独自の存在感を示し、手塚まんがや劇画系作品とは違う夢や正義感を語っていたように思う。当時、TVで(再放送で)見ていた『海底人8823』のまんが版はようやく復刻版で読むことができたが、『少年鉄仮面』『アラーの使者』も読んでみたい。 

 

※画像データ (左から)『あばれ天狗』(アップルBOXクリエート・2005年復刻)、『マッハ三四郎(1)』(アップルBOXクリエート・1996年刊行)、『大空のちかい(1)』(アップルBOXクリエート・2002年刊行)、『少年スピード王』(光文社「少年」1959年5月号付録)、『ミサイル金太郎』(秋田書店「漫画王」1960年新年号付録)、『海底人8823(上)』(アップルBOXクリエート・2003年刊行) 


★黒田硫黄★ 

 1971年生。1993年、「アフタヌーン」の四季賞の秋に、『蚊』『熊』『南天』『遠浅』の4編が大賞を受賞してデビュー。 

 

※画像データ (左から)『大王』(イースト・プレス・2002年第9刷)、『茄子(3)』(講談社・アフタヌーンKC・2002年初版)、『大日本天狗党絵詞(2)』(講談社・アフタヌーンKC・2003年9刷)、『セクシーボイス アンド ロボ(1)』(小学館・ビッグコミックスイッキ・2002年初版)、『あたらしい朝(1)』(講談社・アフタヌーンKC・2008年初版)、『大金星』(講談社・アフタヌーンKC・2008年初版) 


 ★桑田次郎★
 1935年生。1948年『怪奇星団』(青雅社)でデビュー。1980年頃に「桑田二郎」に改名した。
 桑田の初期の作品では
『まぼろし探偵』(連載開始1957年当時は『少年探偵王』)と『月光仮面』(1958年・原作・川内康範)があるが、この二作とも私が物心ついたときはすでにTVドラマや映画で見るほどの大ヒット作であった。どちらも貸本屋で借りて読んだものである。桑田のシャープな絵の魅力が活きたのは何といっても平井和正の原作と組んでからで、『8マン』『超犬リープ』『エリート』などの作品は大好きであった。『デスハンター』も好きな作品だが、この頃から線の冷たさが際立ってきて、読者が離れていったように思う。平井や川内の原作もの以外にも『怪奇大作戦』『インベーダー』などTVドラマのまんが化作品が多い。オリジナルでは、子供の頃に読んだ、列車が謎の円盤によって夜空に吸い上げられるというシーンで始まる『銀河R3』が強く印象に残っていたが、後に復刻版で読み直したところ、たいして面白くはなかった(笑)。オリジナル・ストーリー作品は、発想は面白いが完成度は高くない。そんな中で、私が一番好きなのは『キングロボ』である。 
 
※画像データ (左から)『魔境の大金塊』()、『丹下左膳』(「おもしろブック」付録)、『まぼろし探偵(1)』(少年画報社・ヒットコミックス・1970年初版)、『8マン(2)』(大都社・コミックライブラリー・1980年初版)、『超犬リープ』(秋田書店・サンデーコミックス・1967年初版)、『キングロボ(上)』(アップルBOXクリエート・2001年刊行)  

★こうの史代★

 1968年生。(以下コメント予定) 
 

※画像データ (左から)『夕凪の街 桜の国』(双葉社・2005年5刷)、『街角花だより』(双葉社・アクションコミックス2007年初版)、『長い道』(双葉社・アクションコミックス・2005年初版)、『さんさん録(1)』(双葉社・アクションコミックス・2006年初版)、『この世界の片隅に(上)』(双葉社・アクションコミックス・2008年初版)、『平凡倶楽部』(平凡社・2010年初版) 


★小島功★ 
 1928年生。(コメント予定) 
 

※画像データ (左から)『あひるケ丘77』(けいせい・1975年)、『うちのヨメはん』(三月書房・ダッシュコミックス・小島功漫画シリーズA・1980年刊)、『仙人部落』(三月書房・ダッシュコミックス・小島功漫画シリーズB・1980年刊)、『OH!大先輩』(コダマプレス・ダイヤモンドコミックス・1966年刊)、『コオ釈西遊記(1)』(実業之日本社・マンサンコミックス・1984年刊)、『俺たちゃライバルだ!』(小学館・小学館文庫・ナンセンス漫画傑作集・1977年初版) 


★小島剛夕★ 
 1928年生。手塚治虫とまったく同じ年月日の生まれとして知られている。紙芝居作家からまんが家となった。一般に、まんが家としてのデビュー作は1957年の『隠密黒妖伝』(ひばり書房)と言われているが、55年頃から雑誌に作品が確認されるので、同作は貸本デビューという意味だろう。ひばり書房の専属として貸本作品を描いていた頃、雑誌から仕事が来たときは、「諏訪栄」名義で作品を描いていた。故郷の諏訪の街が栄えるようにとの思いをこめて名づけたそうである。2000年没。 
※画像データ (左から)『弁天小僧』(ひばり書房・1965年頃刊)、『片目柳生』(翔泳社・1995年初版)、『餓鬼の惑星』(日本文芸社・1978年刊)、『木枯し紋次郎』(芸文社・1974年刊)、『おぼろ十忍帖』(チクマ秀版社・2007年初版)、『蜘蛛巣城』(中央公論社・1998年初版) 

 ★小室孝太郎★

 1943年生。手塚治虫のアシスタントを経て、1968年に独立。1960年に「小室保孝」名義で発表した『午後9時の恐怖』(「少年」夏の増刊号)がデビュー作か。
 小室孝太郎の作品といえば、とにかく『
ワースト』である。この作品が、小室の最初にして最大で最後の傑作だったように思う。世界の終末を描くゾンビ・ストーリーと、主人公が死んで世代を受け継いでいくという構成は新鮮だった。1968年製作の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は日本では未公開だったから、多少は情報を得ていたとしても、こうした題材を選ぶ小室の先見の明は大したものだったわけだ。まんが表現技巧においては未熟な面も多かったが、絵は手塚の正統な後継者というタッチである。ただし、本家が時代遅れになっていたときに、この絵では厳しかったようだ。もう少し早く月刊誌時代に活躍できていたら、間違いなく人気作家になれた人である。雑誌時代の作品の単行本としては『ワースト』以外には『ミステリオス』全2巻と『命−MIKOTO−』しか知らないが、両作ともアイデアを活かしたストーリー構成ができていないのが残念である。他にも『闇の戦士』『アウターレック』などという作品があったが、おそらく単行本化されていない。一説には連載していた「少年ジャンプ」編集部との確執があったらしく、商業誌の第一線からは消えてしまった。その後は、「マンガ奇想天外」に描いた短編や神話や歴史、中国の思想家の伝記などをまんが化した描き下ろし作品を見るようになった。 

※画像データ (左から)『ワースト(1)』(集英社・ジャンプコミックス・1970年初版))、『ミステリオス(1)』(高橋書店・タカハシコミックス・1977年初版)、『命−MIKOTO−』(集英社・ジャンプスーパーコミックス・1980年2版)、『スサノオ』(山陰中央新報社・出雲神話マンガシリーズ1・1985年初版)、『弘法大師空海(下)』(柏村出版・1984年初版)、『地獄の魔犬』(学習研究社・劇画サスペンス・1974年初版) 


 ★今敏★
  1963年生。武蔵野美術大学在学中の84年に描いた『虜−とりこ−』が「週刊ヤングマガジン」で「ちばてつや賞・優秀新人賞」を受賞、2作目の『カーヴ』でまんが家としてデビューした。まんが家と並行してアニメーションの仕事も手がけ、98年には『パーフェクト・ブルー』で劇場映画監督デビューした。以後は長編アニメーション監督としての仕事が主となり、まんが作品は少ない。2010年没。(コメント予定)
 
※画像データ (左から)『海帰線』()、『海帰線』(美術出版社・1999年第2刷)、『ワールド アパートメント ホラー』(講談社・KCDX・1991年第1刷)、『セラフィム』(押井守との共作・徳間書店・2011年初版)、『OPUS(オーパス)(上)』(徳間書店・2011年初版)、『夢の化石(今敏全短編)』(講談社・KCDX・2011年初版) 

★コンタロウ★ 
 1951年生。1971年、「COM」月例新人賞に本名「たかしなみつゆき(高階光幸)」で投稿した『ちいさな日記』が準入選して掲載された。この作品は後に『カッパがでてきた日』としてリメイクしている(『東京の青い空』所収)。その後、1975年、『父帰る』が「少年ジャンプ」の赤塚賞を受賞して本格デビューとなった。
※画像データ (左から)『ルーズ!ルーズ!!(1)』(集英社・1979第1刷)、『東京の青い空』(集英社・1980年第1刷)、『プロレス鬼』(集英社・1984年第1刷)、『ぼくらの時代(5)』(集英社・1986年第1刷)、『不思議な夢物語』(ワニブックス・1991年初版)、『夢野さん家はここですか?』(少年画報社・1992年初版) 

 ★近藤ようこ★
 1957年生。1979年、『ものろおぐ』(「ガロ」5月号)でデビュー。
 近藤ようこという作家を何となく「COM」でデビューした作家かと思っていたが、考えてみれば、年齢的に「COM」でのデビューは難しい。私が最初に読んだ近藤作品が何だったかまるで覚えていないが、その名を気にし始めたのは、「COMICばく」に掲載していた作品群からである。
『薄荷煙草』『春来る鬼』『夕顔』など、一作一作が心に残る作品だった。とくに女性の心理の綾を軸にして紡ぎ出すストーリーが巧い。主人公が少女であれ主婦であれ老女であれ、対象に寄り添いながら溺れていない。そのバランスが読んでいて快い。言い方を変えれば、心情描写の巧い作家は他にも多いが、近藤の場合、まるで自分の体験談であるかのようにストーリーを紡いでいる。その作為を超えたさりげなさに感嘆するのである。また、近藤の得意とするジャンルに、中古・中世の説話的世界を題材にした『水鏡綺譚』などの作品群があるが、これもあっさりとした絵に騙されてはいけない。私の知る限り、最も深く濃く、中世説話を読み込んでいる作家である。 
 

※画像データ (左から)『月夜見』(ブロンズ社・近藤ようこ第一作品集・1981年2刷)、『夏は来ぬ』(青林堂・1983年初版)、『悲しき街角』(河出書房新社・カワデパーソナルコミックス・1986年初版)、『遠くにありて(1)』(小学館・ビッグコミックス・1989年初版)、『水鏡綺譚(上)』(角川書店・1990年初版)、『夜長姫と耳男』(坂口安吾作品シリーズ・小学館・2008年初版)


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