ごろねこ倶楽部

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2023.1.29 
 映画 新刊選集 新刊全集  blu・ray  DVD 

 近況
 
●2006年ミケが連れてきたクロ●痩せ細っていたクロ●08年クロのほうが大きい●11年いつも一緒●13年外でも一緒●22年亡くなる1カ月前。チャッポと
【コロナ禍】

 もう世間ではあまり気にしていないようにも思えるが、まだコロナ禍である。私は2020年の2月から外出しない生活をいまだに続けている。もう3年になる。2020年に、東京都の感染者数がまだ数百人の頃にさえ外出を控えていたのだから、その後、都内の感染者数が多いときは2万人を超え、少なくとも千人を割ることなく、現在は正確な人数すら発表されなくなってしまったが、死者数から推測すると、少なくとも数千人以上で推移している状況だと思われ、外出するわけにいかないのである。といっても、一昨年の12月には映画館と古本屋に1回ずつ行って、何とかネタを作ってこのサイトを更新したので、昨年の暮れにも映画館に2回、古本屋に1回出かけてみた。だが、その後、第8波が襲来し、おまけにインフルエンザまで蔓延し始めたので、またまた引き籠り生活が続いているのだ。
 およそ3年間の全国感染死者が6万人を越え、その1万人以上が直近1か月であり、ほとんどが高齢者だと聞けば、自分から進んで罹患するような行動をとろうとは思わない。私は元々がインドア派なので、外出しないことは苦ではない。とはいえ、映画は映画館で見たいし、たまには散歩がてら古本祭りにでも出かけたいとは思う。前は、コロナ禍が収まったら以前のような生活に戻るだろうと思っていたが、もう以前のような世の中には戻らないと思えてきた。治療薬が普及すれば少しは違うかも知れないが、世の中に新たなウィルスが増え、それはなくなることなく次々と変異していくのだろう。そのうちにこちらの寿命のほうが尽きてしまう。となれば、いつまでも引き籠っていてもどうしようもない。警戒はしながらも、自分なりに新たな生活スタイルを作るしかない、と思っている。

【クロ】

 仕事場で飼っていたクロが昨年の3月に死んだ。一昨年の夏にモンが死に、これで仕事場の猫はチャッポ1匹になってしまった。といっても、クロは2007年の夏頃に生まれたので、15年近く生きたわけで、野良生まれだったことを考えれば、長生きのほうだろう。もっとも私は野良生まれの猫しか飼ったことがないが、歴代飼った猫の中でも3番目に長生きだったことになる。

 2005年頃から仕事場にはよく野良猫が来るようになっていて、私が朝夕に食事を与えるものだから、多いときは10匹ぐらい集まっていた。野良猫への餌遣りに関して私は批判的だが、それは空地や路上での餌遣りについてであって、自分の敷地に餌を置いておくのは、野良猫のためにも仕方ないと思っている。ほとんどの猫は短期間で来なくなるが、半年以上残った猫たちは去勢・避妊手術をして、そのまま私の仕事場を住まいにしても構わないと考えていた。もちろん屋内に住みついても構わないし、屋内に入るのを警戒する猫のためには庭に猫小屋(市販の犬小屋)を二つ設置してある。それでも猫を近寄せるのは近所迷惑だと思う人がいるかも知れないが、当時、仕事場の南側は空地、東側は緑地、北側と西側の住宅は空き家だった。仕事場として恵まれた環境にあり、猫たちも近寄りやすかったのだと思う。野良猫に混じって、近所の飼猫もよく食事しに来ていた。飼っていた家ではきっと小食な猫だと思っていたことだろう。

 そんな中、2007年の春頃にミケの猫が姿を現すようになった。当時、猫は見た目で呼んでいたので「ミケ」と呼んでいた。可愛い仔猫だと思ったが、しばらく来ない期間があり、8月にまたひょっこりと顔を出した。かなり痩せていて、がつがつと餌を食べてどこかへ帰って行く。何かあったのかと思ったが、他にも色々な猫たちが来ていたので、あまり気にしていなかった。すると、9月になって黒い仔猫を連れて来た。生後2、3月経っているようだが、ガリガリに痩せて、カマキリのような三角の顔をして、フラフラとしている。それでも一心不乱に餌を食べている。ミケがどこかで(数匹の)子供を産んでいたが、この黒猫だけを連れて来たのだろうか。後に、ミケと一緒にいる黒トラの2匹の仔猫を見かけたことがあったが、それがこの黒猫の兄弟だったのかも知れない。この後、ミケと「チビクロ」と呼ぶようになる仔猫は、仕事場に住みついてしまったので、他の兄弟のことはわからない。ただ、多少元気よくなったと思ったチビクロが、1か月後ぐらいに急にぐったりとしてしまった。屋内に入れ、段ボール箱にタオルを敷いて寝床を作って寝かせておいたが、翌日になってもよくならないので、獣医に相談すると、回復ケアだったか虫下しだったか忘れたが、何か薬をくれたので、それをスポイトで飲ませた。当時、私は仕事場に寝泊りしていなかったので、夜はミケとチビクロを残して自宅に帰っていた。普段は、猫たちが自由に出入りできるように掃き出し窓を少し開けておくのだが、このときは他の猫が入ってケンカになっても困るので、窓は閉めておいた。朝、仕事場に来てチビクロの様子を見ても、ずっと寝たままなので、もうダメかも知れないと思うこともあったが、1週間ぐらい経つと起き上がり、自分で餌を食べるようになった。そしてチビクロは見違えるように元気になり、それ以降、ミケとチビクロはすっかり家の子になってしまったのだった。

 翌2008年の4月1日には、ミケが6匹の子供を産んだが、その顛末はトップページから「子猫たちのいた日々」をクリックして見て下さい。

 後に、「チビクロ」はチビではなくなったので「クロ」と呼ぶようになった。仕事場で飼っていたが、夜はミケと2匹でいたので(始めのうちは他の猫が一緒にいることもあった)、長くても1日に10時間ほどしかいない私より、多くの時間を仕事場で過ごしていたことになる。私のほうが2匹の家にお邪魔している感じだった。2匹とも避妊・去勢を済ませたので、仲のよい母子で、外に遊び行っても一緒にいる姿を見かけることもあり、家ではいつも寄り添って寝ていた。

 やがて2015年の3月21日にミケが死んだ。そのときのミケの年齢はわからないが、初めに庭に現れたときがせいぜい2、3歳だと思われるので、10歳を少し超えたぐらいだったのだろうか。ミケがいなくなることは悲しいが、生まれてからずっとミケと一緒にいたクロのことを思うと、それ以上に悲しくなった。
 しばらくして、クロが出かけたまま丸1日帰って来ないことがあった。若いときに半日ぐらい帰って来ないこともあったが、その頃には長くても2、3時間経てば戻って来るのが普通だった。それが、朝、どこかへ行ったまま昼も夕方も帰らず、夜に近所を探してみたが、どこにも見当たらない。翌朝には屋内に帰っているかと期待したが、いなかった。辺りを探し回っていると、昼頃に、近所で車の下にうずくまっているクロを見つけた。姿を見てホッとしたものの、名を呼んでも車の下から出て来ない。何か怯えているような素振りだった。ミケが生きていた頃のようにミケを探しにいつもより遠出して、知らない猫とケンカでもしたのだろうか。あるいは他の猫とうるさく鳴き騒いで近くの住人に何かされたのかも知れない。いくら呼んでも出て来ないので、箒を持って来て仕事場の方向へ追い出し、後を追いかけてみた。何とか仕事場の庭まで戻って来たので、掃き出し窓を開けて呼ぶと、部屋に飛び込んで来た。すぐに抱きかかえて体を見たが、幸い怪我はしておらず安堵した。

 この件から、クロを1匹にしておけないと思い、私は仕事場のほうで寝るようにしたのである。当時は、父の介護があり、どうしても自宅にいる時間が多くなってしまい、仕事場にいる時間は少なく、なかなか仕事もできなかった。そこでできるだけ多く仕事場にいられるように生活拠点を自宅から仕事場に移そうと考えたのだ。

 ミケがいなくなったせいか、仕事場の庭にはまた多くの猫が餌を求めて来るようになっていた。その中で、2016年の夏頃にハイエナという錆び猫が産んだ仔猫のうち、茶トラ猫のチャッポとチャコが住みつくようになったが、チャコは近所の人に飼ってもらうことになり、チャッポが残った。クロは他の猫を見ると、大きな声を上げて騒ぐことが多かったが、チャッポに対してはそんなこともなかった。初めはとくに仲良くしていたわけでもないが、やがて体を寄せ合って寝るようにもなった。
 さらに2018年の春にはキヨという黒トラの猫が4匹の子供を産んだ。そのうち、黒トラのヒメと白地に黒毛のあるモンが残った。ヒメは綺麗な毛並みの猫で顔もずぬけて可愛かったが、事故に遭ったらしく翌年の6月に死んでしまった。モンは独特な顔をしていたが愛嬌があって仕種が可愛らしく、やがて屋内にも入って来てクロやチャッポとも馴染んでいた。

 クロはずっと母のミケと一緒だったので、ミケを亡くして寂しかったと思うが、チャッポやモンがいてくれてよかった。残念ながらモンはクロより先の、一昨年の夏に死んでしまったことは前回書いた通り。だが、ミケに連れられて来た仔猫の、ガリガリに痩せ細っていた姿を思い出すと、クロが15歳まで生きられたのは、ミケの死後にチャッポやモンが寄り添ってくれたことが大きいと思う。クロは食事ができなくなって衰弱してからも、10日ほどは頑張って生きていた。最期の日は、私が仕事場に戻ると、クロは寝床から少し這い出していた。楽な姿勢に戻して水を吸わせた脱脂綿で口許を湿らせたが、わずかに舌をペロペロと動かしただけだった。心配ないよ、もうすぐまたミケに会えるよ、と言葉をかけながら体を撫でていると、一瞬だけ呼吸が荒くなって、静かになった。そっと目を閉じさせると、いつも私の傍らで寝ているクロと何一つ変わらない気がした。

【母】

 掲示板に「喪中につき新年のご挨拶は失礼させていただきます」と書いたが、これはクロのことではない。
 じつは昨年の6月に母が亡くなった。私にとっては昨年一番の大きな出来事になる。昨年というより、母親の死というのは誰にとっても人生において大きな出来事だろう。
 母は、ここ2、3年は足腰が弱ってほとんど外には出なくなっており、94歳という高齢なので何があってもおかしくはなかったが、私はもちろん本人も、まだ死ぬとは思っていなかった。少なくともあと3年ぐらいはこのままでいるのではないかと思っていた。それが、具合が悪くなって1日で逝ってしまった。急逝といえるだろう。幸いだったのは、真夜中ではあったが、自宅で看取ることができたことだ。じつは3月に転倒して怪我を負い、そのときに入院という選択肢もあったのだが、入院すると面会もできない状況だったので、自宅にベッドを入れて治療と養生をすることにした。それまでも医者やヘルパー、マッサージ師の方々には週に何度か来てもらっていたが、それ以後、毎日看護師さんやヘルパーさんに来てもらうことになった。家事はともかく、介護はさすがに私には難しい。ただ、そうした方々が訪れるときは、その都度、私も仕事場から自宅に戻っていたので、毎日仕事場と自宅を何度も往復していた。普段でも(今でも)1日5回は往復しているが、この期間は少なくとも8回は往復した。そうした生活は父の介護をしていたときにも経験済みで慣れていた。仕事場と自宅は100メートルぐらいの距離なので、ウサイン・ボルトなら10秒もかからない(笑)。
 母がベッドの生活になっても快適に過ごせるようにと、家のリフォームも始めていたところだった。色々と予定が狂ってしまったが、こればかりは母に文句も言えない。もう半年以上経つが、今でも仕事場でボーっとしているとき、ふと、あっ、自宅に行かなきゃと、自宅に母がいるような気がすることがある。

 母の葬儀やら法要が済んだ後、大変だったのが相続関係の手続きだった。父が死んだときは、すぐにコロナ禍になってしまったので、最小限のことをしただけで、あとは放り出していた。それを含めて、今回はすべての手続きをしないわけにはいかない。細かな手続きを別にすれば、重要なのは家など財産の相続と相続税の支払いである。といって、わが家などは、猫の額ほどの土地にマッチ箱のような家があるだけで、菜っ葉を齧って生きているような生活なので(ベジタリアンだからね)、相続税などは大したこともないだろうと思っていた。結局、後々面倒なことになっても困るので司法書士と税理士に依頼したのだが、それでも私がしなくてはならないことも多くて煩わしく、すべて完了したのは12月の21日だった、およそ半年かかった。そして、予想をはるかに上回る相続税を納めるはめになった。
 これからは薪の上に寝て肝をなめて暮らさなければならない。いやいや、誰に復讐しようとしてるんだって話。

【古新聞】

 相続関係の手続きと平行して、父と母の遺品の整理をしていたのだが、これも一苦労で、いまだ半分も終わっていない。昔気質の両親で、物を捨てることができず何でも取っておくものだから、無駄な物が多すぎる。とくに衣類が大量で、全部捨ててもいいのだが、一応取っておく物、リサイクルへ出す物、燃えるゴミの三つに分けて、徐々に整理・処分している。だが、押し入れやら箪笥やらにぎっしり詰まっている量が多すぎて途方に暮れている有様なのだ。私が一度も開けたことのない古い箪笥なども幾棹かあって、それを整理していると、引き出しの底には新聞紙が敷いてあった。その黄ばんだ新聞紙を見ると「昭和四十五年」と記されていて、こんな古い新聞を敷いたままにしてあったのか、などと感慨深くもなった。そのうち「昭和二十五年」などのものも見つけた。私が生まれる前の新聞である。

 「昭和二十五年七月二十五日金曜日」の「読売新聞」。
 一面の見出しは旧漢字で「朝鮮戦線一ケ月」とあり、「北鮮軍配備百五十哩」「金泉挟撃の態勢とる」とある。「堅固な防衛線に背水の陣」「ゲリラ隊活発」「米韓の主導性確保未し」「北鮮軍、光州占領」などの文字が踊っている。二面は「朝鮮動乱とわが経済」の本社座談会。三面は、「七つの訴因全部有罪」「平沢死刑判決」「弁護団側は即日控訴」と帝銀事件の記事などがある。四面は、「群馬版」(母は群馬に住んでいた)で、太田東山球場でプロ野球の試合(国鉄ー広島、巨人ー中日)が行われる記事など。「剛球別所の登板か」「取ッ組む中日水爆打線」とあるが、今なら「水爆打線」はまずいだろう。広告はカルピスや、シオノギのセデス、アース殺虫剤、ハリスチゥインガムなどほとんどは今でもわかるものが多い。映画の広告は佐野周二、淡島千景『てんやわんや』、小暮実千代・佐分利信『執行猶予』、洋画はアンリ・カレフ監督の『密会』。近日公開作として、利根はる恵・沼田曜一『紅二挺拳銃』、小津安二郎監督の『宗方姉妹』が載っている。

 珍しいと思って眺めていたら、今度は昭和4年、3年の新聞まで出てきた。なんで90年以上も取り換えてないんだよ、と呆れてしまった。

 「昭和四年八月三日土曜日」の「報知新聞」。
 一面が広告のページで講談社(大日本雄弁会講談社)の『キング』九月号の広告が半ページ載っている。名前を知っている作家すらいないが、新連載は「前田曙山先生久しぶりの大力作発表!」で『波乱万丈怪盗夜叉王』という作品。なお定価は五十銭。また「タイムス出版社」の『碧瑠璃園(渡辺霞亭)全集』全十二冊の予約募集の広告も載っている。私は寡聞にして碧瑠璃園(渡辺霞亭)という作家を知らないが、「明治大正の馬琴」と記されており、多くの作品が映画化されているらしい。この全集は『大石内蔵助』『由比正雪』など歴史的人物を扱った小説を12作収録している。推薦文を寄せている作家は、上記の前田曙山の他、徳富蘇峰、岡本綺堂、菊池寛がいる。前田曙山だけ知らない作家だった。ニュースは「ピストルで撃たれたのは粛親王息憲開氏」「別府温泉昭和園にて」「張氏の秘書が誤って発射」が、二面の冒頭記事。「早起会帰りの小学級長」「無残目蒲電車に轢殺さる」「踏切番人の不緊張から」などという事故も載っている。今は目蒲線という名称はなくなったが、私も昔目蒲線沿線に住んでいたことがあるので、ちょっと目についた。「群馬版」には「足利市内をさまよふ」「哀れ、孤独の花売娘」「継母に虐められて死の家出」という記事もあるが、少女は保護されたとあるので、新聞に載るほどのニュースなのかなと思ってしまう。

 「昭和三年十一月四日日曜日」の「時事新報」。
 これまた一面が広告のページになっているが、この形が当時の常識だったのだろうか。半ページを使っているのは「新光社」の「世界地理風俗大系」。第一回配本「伊太利篇」。第二回配本「北米合衆国篇」、第三回配本「アフリカ篇」とあるが、全何巻か書いてない。二面は皇室関係と政界の記事。「両陛下の御気色」「殊の外麗かに拝す」「御発輦も差迫つた昨今」「畏き極みの大御心」とあるのは六日に京都へ出発すること。また、三日の「明治節」に奉明殿で「勅語を賜ふ」記事。「人出五十万明治神宮の賑ひ」「例祭に勅使参向」の記事など。三面はまたもや全面が広告。「御大典奉祝大奉仕デー」の「銀座松坂屋」や「森永ミルクチョコレート」など、今でもわかる広告もあるが、「妙布」という「運動疲れ・肩のコリ・身体の傷」が「一夜で忘れた様に回復する霊薬」という薬の広告があった。これは、当時の消炎鎮痛の貼り薬(トクホンやサロンパス)なのだろう。いや、身体の傷に貼ってはダメか。四面も広告だが、『白蝶秘門』という「高桑義生」という作家の連載小説も載っている。で、よくわからないのだが、五面・六面に当たる面が「夕刊時事新報」の一面・二面となっており、七面・八面が「時事新報」に戻っていることだ。日曜日の新聞なので特殊なのかも知れないが、朝刊の中に夕刊を挟み込むような形になっていた。当時は、これが普通だったのだろうか。
 それにしてもこんなものまで出てくるものだから、遺品整理がいつまで経っても終わりそうにない。

【書店】

 コロナ禍の影響もあってか、私の町でも飲食店など幾つかの店が店仕舞いとなった。私は基本的に外食はしないので飲食店がなくなっても生活に影響はほとんどないが、郵便局が移転したのは困った。これはコロナ禍とは関係ないが、今まで徒歩3分のところにあった郵便局が、徒歩12、3分の場所に移転してしまったのだ。どうしても郵便局へ行かなければならない用事はあまりないのだが、それでも月に1、2度は利用していた。そのときに、この10分ほどの差は大きく、行くのが億劫になる。この郵便局は私の家から東方向にあるが、じつは西にも南北にも郵便局があり、南北の郵便局へ行くのは元々12、3分かかり、西の郵便局へは15分ほどかかる。それらの方面に用事があるときはどの郵便局も利用しており、その点では便利だが、一番便利な郵便局がなくなってしまい、自宅がちょうど郵便局の谷間になってしまったわけだ。それで不思議なのだが、行くのにかかる時間は同じなのに、現在は南の郵便局を利用することが多い。郵便局だけが目当てで行くときには、南への道が一番散歩気分になれるからだと思う。

 さて、じつは郵便局の移転以上に困ったことがある。それは書店がなくなってしまったことだ。以前は私の町には新刊書店が3軒あったが、20年ほど前に1軒がなくなり、14年前に残りの2軒が閉店してしまった。この2軒は同じ経営者による本店と支店だった。これは困ったことになったと思っていたら、すぐに新しい書店ができた。そのとき聞いた話では、町から書店がなくなることを憂慮した市が、駅のビルに某書店チェーンを誘致したとのことだった。その書店が10月に閉店してしまったのである。今度は市が誘致した気配もなく、新しい書店はできそうにもない。町から本屋がなくなるなんて考えたこともなかった。実際、駅前に買い物に行ったときには、何となく本屋にも立ち寄ったし、用がなくても散歩がてら本屋まで出かけたものだ。本屋で見つけて刊行されたことを知って買った本もあれば、現物を見て買いたくなった本もある。あるいは買わないにせよ、何のジャンルであれ、並んだ新刊を眺めるのが好きだった。以前(コロナ禍前)なら、週に数回は電車で池袋や渋谷などの大きな街に出ていたので、さほど不便を感じなかったかも知れないが、今はまったく出かけていない。ただ、月に1、2回隣町に買い物に行くので、そのときに辛うじて本屋に寄っている。

 ただ、それでも困ったことがある。今までの本屋は、基本がセルフレジだったのだ。つまり、エロ本を買ってもレジの店員の目を気にする必要がない。いや、エロ本は買わないが、たとえば少女まんがである。とっくに還暦を過ぎたジジイの私が、少女まんがを買うのはかなり恥ずかしい。若い女性店員に「うわっ、キモッ!」などと思われていると想像すると、少女まんがを買うのがためらわれる。ところが、今まではセルフレジだったので、何も気にせず少女まんがも買えたのだ。隣町の本屋は、今までの本屋より広く在庫も豊富なのだが、残念ながら有人レジである。いやいや、少女まんがに限らず、ジジイがまんがなんか読むなよ、と思われているかも知れない。うわーっ、恥ずかしー。結局、ある程度はネットで購入するしかないかと考えている。
 それにしても、わが町が本屋もない町になってしまったのだと思うと、悲しい。
 

●「読売新聞」昭和25年7月25日1面●同3面●「報知新聞」昭和4年8月3日1面●同2面●「時事新報」昭和3年11月4日2面●同夕刊2面
 まんが
●写真・左
「谷口ジローコレクション」は前回第2回配本までの4冊を上げておいたので、第T期の残りの6冊と第U期10冊の16冊を上げておく。別巻(かどうかわからないが)として『ふらり』が刊行予定だったらしいが、刊行されないまま、2月末から第V期10巻の刊行が決定した。このシリーズの造本は谷口ファンとして申し分ないが、装丁・サイズ的にОPPカバーが使えないので、本が汚れやすそうなところが難点だ。『晴れゆく空』には単行本未収録だった原田宗典の小説が原作の『ママ、ドント クライ』と『エンジェル・エンジン』が収録されている。V期には私が谷口ファンになったきっかけの『ブランカ』が収録される予定なのは嬉しいが、単行本未収録の作品はない。今後このシリーズが続き、初期作品を含めて、単行本化されていない作品が収録されることを望む。

●写真・左から2枚目
「大友克洋全集」が昨年から刊行開始となった。私としてはまんが作品だけCОMPLETEしてくれれば十分なのだが、すべてのWОRKSを網羅してくれるのなら、それはそれで買うしかない。ただ、大友克洋自身がリ=プロデュースするということなので、一抹の不安を覚えたのは私だけではないはず。1月から隔月刊で2冊ずつ刊行され、5月までに6冊出たが、7月に刊行予定の第4回配本が延期され12月に1冊出て22年度は7冊刊行されただけだった。刊行ペースがゆっくりなのはまったく構わないが、出るか出ないかわからず、完結するかしないかわからないのが一番困る。谷口コレクション同様、造本は申し分ないので、多少構想を縮小してでも、無事に完結してくれることを願う。

●写真・中央
 新刊まんがは買い続けている作品は買っているが、きちんと読んでいるわけではない。我ながらまんがへの興味がだいぶ薄れているのがわかる。目が悪くなって、新書判ではちょっと読むのがつらいこともある。谷口、大友全集のようにB5判だと読みやすくて助かる。
 とはいえ、今まで読んだことのない作家の作品で、人気作を読んでみようと思って『スパイ・ファミリー』と『チ』のそれぞれ1巻を買って読んでみた。『チ』は絵が好みに合わなくて途中で挫折した。『スパイ・ファミリー』は読みやすく面白かったので、10巻まで買ったが、目がつらくなって(笑)まだ2巻までしか読んでいない。きちんと読んでいるのは『ワンパンマン』ぐらいか。ただ、この作品の好きなところは、皆が手に負えないほどの怪人をサイタマがワンパンチであっさり倒してしまうところなのだが、最近はそういうシーンが少なくてつまらない。
 完結した作品は『チェーザレ:破壊の創造者』と『GIGANT:ギガント』。どちらも再会で終わるが、静かに情感を抑えた終わりと情感を爆発させる終わりが対照的だった。『サイボーグ009:BGООPARTS DELETE』も5巻で終わったはずだが、買うのを忘れた。
 作者が亡くなったのが、『ゴルゴ13』と『ベルセルク』。『ゴルゴ13』はさいとうプロで今まで通り描き続け、それほど違和感はなく読めると思う。『銃器職人デイブ』は初のスピンオフ・シリーズだが、初めから「さいとうプロ作品」となっている。ついでに過去作のスペシャル・エディション作品集も2冊買った。何しろ読みたい旧作があっても218冊のどこに収録されているか、なかなか探せないので、佳作を集めてくれた本は便利だ。『ベルセルク』は、この41巻の最終話が三浦建太郎が直接ペン入れをした最後の原稿で、それを「スタジオ我画」が仕上げて刊行したとのこと。続きはどうなるか未定だったが、昨年6月から「原作・三浦建太郎」として連載が再開した。単行本になれば買うつもりだが、まだ見ていないので違和感があるかどうかはわからない。
 諸星大二郎と星野之宣という好きな作家が、新作を刊行してくれるのは嬉しいが、諸星作品が変わらないのに比べ、星野作品がSFから離れてしまっているのは寂しい。
 『酒井美羽の少女まんが戦記』『松苗あけみの少女まんが道』という少女まんが版「まんが道」が面白い。じつは酒井美羽も松苗あけみも今まで作品を読んだことはなかったが、それでも面白く読める。

●写真・右から二枚目
『さいとう・たかを劇画大解剖』は2020年の5月に刊行された本だが、出ていることを知らなかった。『まんだらけZENBU』の何かの記事で出ていることを知り、遅ればせながら買ったのだった。最近はまんが家本がよく刊行されており、私も興味ある作家のものは買っている。だが、文章中心の本は、データこそ役に立つが、評論や解説の文章は最近は読む気も起きない。その点、こういうカラーグラビアが多い本は見ているだけで楽しい。

 アップルBОXクリエートの復刻本では、『ビリーパック(01)』が待望の本。『ビリーパック』を「少年画報」連載第1回からほぼオリジナルの形で読めるからだ。この箇所は少年画報社からは1回も単行本化されたことがなく、王冠漫画社から出版されている。王冠漫画社版も前にアップルで復刻されたが、比較してみると、連載上のダブりと他に少々省略されているぐらいで思ったほどに違いはなかった。ともあれ、アップル本の『ビリーパック』はこのまま全話収録してほしい。また、アップル本を買おうとするとき困るのは、表題作以外の収録作がわからないことがあるところだ。たとえば、杉浦茂の『円盤Z(キャプテン小僧)』は、日本名作漫画館の復刻を持っているので、もしその復刻だけなら買う必要がないが、他に収録作があれば買おうと思っていた。『円盤Z』は128ページなので、それだけということはないだろうと買ったのだが、案の定『怪魔島探検』が収録されていた。買ってよかった。『ごうけつ無茶丸』には『霧隠才蔵』という短編が収録されているが、これは元々『ごうけつ無茶丸』が初単行本化なので収録作の有無は関係なく買った。

『現代不良少女伝・さすらい…トミー流れ唄』は凡天太郎の作品を復刻する凡天劇画会の新刊。「現代不良少女伝」シリーズの最終作(全5作)にして代表作『不良少女伝・混血児リカ』へとつながる作品と解説にある。私はリアルタイムで凡天作品を読んだことはなかった。前に掲示板の「ごろねこの本棚」の別冊付録編で、『風船物語』(東映教育映画『風船の願い』のまんが化作品)を紹介したとき、作者の「石井きよみ」が少女まんが時代の凡天の名前と知って、興味を持った。その後、ちょうど凡天作品の復刻が始まり、幸いだった。

●写真・右
 古本屋は昨年の12月に1度行っただけで、1年ぶりだったので、欲しい本があれば少しぐらい高くても買うぞ〜、と意気込んでいたが、欲しいと思う本はまったくなかった。というより、私のまんがへの興味が薄くなっているので、以前なら欲しいと思う本も、欲しいと思えなくなっているのかも知れない。そうでないことを祈る。次回に期待しよう。

 小室孝太郎の神話伝説シリーズ『スサノオ』『オオクニヌシ』は持っているが、『出雲伝説弁慶』は知らなかった。とくに出雲地方に伝わるを弁慶の伝説を中心に描いている。壇ノ浦の戦いの後、一時故郷に帰った弁慶が大山寺の鐘の音を褒めたところ、住職が今夜中に持ち帰るのなら差し上げようと言ったので、弁慶は約100キロの山道を鐘を担いで持ち帰ったというエピソードで終わっている。そのとき弁慶が担ぎ棒の前に提灯、後ろに釣鐘を吊るして歩いたので、それ以後、釣り合わないことを「提灯に釣鐘」というようになった、とある。そんな語源があるとは知らなかった。念のため、ちょっと調べてみると、「新撰犬菟玖波集」や「仮名手本忠臣蔵」に使用例があるらしい。弁慶のほうが古いのでまんざら誤りでもなさそうだ。ただ弁慶の伝説では、弁慶が提灯と釣鐘が「釣り合わない」ので困ったとか、「釣り合わない」のに見事に持ち帰ったとか、そういう記述があるのだろうか。そうでないと「釣り合わない」という意味は出てこないと思うのだが。
『まき毛のロン』は状態はよくないが安かったので買っておいた。すでに持っていたかも知れない。『若さま世界一周』は何となく目に止まったので。新連載の回で、いきなり北極へ行き、ロシアの役人を懲らしめ、シベリア狼に襲われる、というところで「つづく」。
『ヤングビート』2号は、下元克巳の『非行』という作品が55ページもあってお得な感じ。

『アクションセレクト』の2冊は古本屋の目録買い。もっと注文しておいたが、この2冊しか買えなかった。『アクションセレクト』は『漫画アクション』掲載作品の再録誌。どちらにも谷口ジローの単行本未収録作品が載っている。1982年刊(白地)には『諏訪彦次郎捜査日誌・花刺(かんざ)し』(作・小池一夫)。警視庁捜査一課の係長で女係といわれるほどモテる男・彦次郎。熱海の美妓が殺される事件が起こり、静岡県警の要請を受けて彦次郎が赴くと、被害者は彦次郎と関係を持ったことがある芸妓だった。いつも着流しの姿というかなり異色の刑事の活躍を描く。初出は1981年6月10日号。1984年刊(黒地)には『Оffical Spy Hand Book』(作・矢作俊彦)。「あるスパイの生活と意見」の全2回を再録。もう1話(全2回)あるので、それが再録された号もあるかも知れない。タイから不法に働きに来ていた少女を追って、恋人で元タイ軍人の男がやって来た。彼は少女を探すために関係者に写真を見せていたが、そこにはタイ軍に自衛隊の小銃が横流しになっている疑惑をもたせる証拠が写っていた。総理大臣官房連絡課の主人公が、事件を穏便に済ますために動き出す。初出は1983年8月25日、9月1日号。1979年から代表作の一つである『事件屋稼業』が始まっており、それに比べてこちらの2作はそこまで展開を広げる要素がなかったように見受けられる。 
 映画(Blu・ray・DVD)

 
【映画】

 コロナ禍になってから、映画は一昨年の12月に『ヴェノム/レット・ゼア・ビー・カーネイジ』を見ただけで、その後、また何も見に行っていなかったが、昨年の11月に『ザリガニの鳴くところ』、12月に『ブラックアダム』を見て来た。マスクをして映画を見るのは嫌なのだが、座席が混んでさえいなければ黙って映画を見ることに感染リスクは少ないだろう。前のようにはいかないが、これからはポツポツと劇場に足を運ぼうと考えている。
 できれば『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』や『アバター/ウェイ・オブ・ウォーター』も見たかったが、『ブラックパンサー』は私の都合のよい時間帯に上映がなく、見逃してしまった。ブルーレイを買う予定である。『アバター』続編のほうは年末だったこともあり、行けないうちに興味を失った。前作は3Dブームの牽引となり、当然3Dで見たのだが、あるときから私は3Dは見ないことにしている。目が疲れるし、眼鏡を二重にかけるのでひどく見づらいのだ。前作を振り返って見れば、斬新な3D映像以外にどこがよかったか思い出せないが、惑星パンドラの住人たちが侵略者である人類を撃退する話として、少なくとも完結していた。同じパターンを繰り返して続編を作ったとしても意味がない。続編は2Dブルーレイが出たら買って見るかも知れないが、劇場に見に行くつもりはなくなった。
 で、他に何か見ようかと思ったが、いつも行く隣町のシネコンのスケジュールを見て驚いた。1月24日現在14本の映画を上映しているのだが、なんと洋画は『アバター』続編しかないのだ。ちなみに邦画が7本、邦画アニメが5本、韓国映画が1本である。私は基本的に洋画を中心に映画を見ているので、『アバター』続編を見ないとなると、見る映画がないのだ。もちろんそういうときに邦画を見ることもあるが、コロナ禍に無理して見に行くほどではない。はっきり覚えていないが、以前(10年から20年前ぐらい)は洋画と邦画の上映比率は半々ぐらいだったのではないだろうか。アニメを入れれば邦画が多かったかも知れないが、14本上映されていれば、少なくとも5本ぐらいは洋画があったように思う。それが、この稼ぎ時の正月興行でさえ1本しか洋画を上映していないとは。洋画の興行が衰退しているとは知っていたが、これほどとは思わなかった。もっとも世界135の国・地域で興行成績首位を獲得した『アバター』続編が、唯一日本では首位を獲れず3位発進だったそうだ。1月第3週(1月16日〜22日)の映画興行成績ベストテンでもインド映画『RRR』が4位、洋画『アバター』が5位で、残り8作品は邦画である。しかもそのうち4本はアニメ。アニメはともかく、実写映画は金をかけたエンターテインメントも脚本の練られた人間ドラマも、洋画にはいい作品が多いと思う。洋画の配給会社には頑張ってセールスしてもらいたいところだ。

『ザリガニの鳴くところ』は、6歳のときに両親に見捨てられ、学校にも行かず一人で湿地帯で暮らしていた少女カイアが主人公。成長して知り合った裕福な家庭の青年がいたが、彼の変死体が湿地帯で発見され、その容疑がカイアにかけられる。原作小説は読んでいないが、ミステリーというよりはラブ・ストーリーの趣で描かれている。湿地帯は私のイメージとは違って美しすぎる気がしたが、少女の切ない心情が投影された美しさだと思えば納得できる。事件の真相が明かされるのはラストのラスト。こうした映画によくあるような真相の映像化の挿入は一切ない。真相は時の彼方であり、登場人物と同じく観客も想像するだけである。私などは、さらに別の可能性も考えてしまうので、ちょっともやっとする。

『ブラックアダム』は、「DCエクステンデッド・ユニバース」の11作目の映画。今までこのシリーズは世界観がマーベルのようにはきちんと統一されていなかったが、この作品から作品間を関連づけていくらしい。とはいえ、興行的な問題からDCは様々な企画が流れているので、どうなるか疑わしい。このブラックアダムというアンチヒーローとしてのキャラは、私はまったく知らなかった。何かの作品に登場したヴィランが主役になったのだろうか。原作は知らないが、ドウェイン・ジョンソンがコミックスのヒーローを演じるならこれしかないというほど似合っていた。5000年の眠りから醒めて暴れる破壊神ブラックアダムに、JSA(ジャスティス・ソサエティ・オブ・アメリカ)の4人のヒーローたちが立ち向かう。JSAは、ホークマンとアトム・スマッシャーを知っている。ただ私の知っているアトム・スマッシャーは体を縮小できるヒーローだったが、それは初代で、このアトムはその甥で体を巨大化できる能力を持つ。他の二人、ドクター・フェイトとサイクロンは知らなかった。そして、やがてアダムと4人は、悪魔の力を得たアダムの宿敵グレゴールを倒すために共闘する。次第に普通のヒーローっぽくなるのは仕方ないが、破天荒なところは今後も見せてほしい。アダムに力を与える魔術師シャザムが登場するが、この人がシャザムにも力を与えた人。3月に『シャザム』の続編が公開されるが、そちらにアダムと関係するシーンは出てくるのだろうか。

【BLU-RАY・DVD】

 映画館に行かない分、ブルーレイやDVD、あるいはCS放送で映画を見ているわけだが、新作ブルーレイを1枚買う値段で、劇場に3、4回は見に行ける。私はシニア料金なので。旧作廉価版の値段でも1回は見に行ける。というわけで、ディスクの購入では、どうしても見る本数が少なくなる。おまけにディスクは映画だけを買っているわけではない。いまだに音楽ライヴやコンサートのディスクも買っているのだ。ただ、ディスクのよいところは、面白かったときはまた好きなときに見られるし、気になることがあるときは一部分だけでもすぐに見返せる点である。
 上の『NОPE/ノープ』は、ジョーダン・ピール監督作。この監督の映画は前に『ゲット・アウト』を見たことがあった。日常の違和感が積み重なって思いがけない事態が暴かれるというサスペンス・スリラーは同じで、あり得ない結末に着地してみせる。傾向は異なるが、M・ナイト・シャマラン監督のようなトリッキーさがある。父親の不審死から始まり、UFО目撃への話へと展開するが、このUFОの正体が明かされるあたりから映像的に残念な部分が目立つ。一番怖くなるはずのところで、映像的にまったく怖くないのである。

●写真・左
 MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の4作では、『スパイダーマン:ノー・ウエイ・ホーム』が3部作の完結編となっており、一番面白い。マルチバース(多元宇宙)を扱い出すと何でもありになってしまうので、私は好きではないが、過去のシリーズをマルチバースに見立てて、サム・ライミ版3部作のトビー・マグワイア、『アメイジング・スパイダーマン』2作のアンドリュー・ガーフィ―ルドが登場し、3人のスパイダーマンが勢揃いする。これを実現させてしまうだけの、今のマーベル映画の力に驚く。ウィレム・デフォー、アルフレッド・モリーナ、ジェイミー・フォックスなど過去作のヴィランも復活し、今までの3シリーズ8作で、同じヴィランが登場しなかったのも本作のためのように思えてしまう。そしてマルチバースの侵食を終息させるためのスパイダーマンの選択は、今までの軽く楽しい雰囲気とはガラッと変わって重く悲しい。続く『ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス』はまさしく狂気のマルチバースを描く。私はディズニープラスで放送されているドラマ(配信)版のMCUを見ていないので、この前日譚に相当する『ワンダヴィジョン』の内容を知らない。ストレンジに対するヴィランとして仲間であったはずのワンダが登場する理由は、何となく察しているだけで、詳しくはわからない。映画だけではわからなくなったせいか、MCUへの興味が前ほどではなくなってきた。その点、『ソー:ラブ&サンダー』はわかりやすく、楽しい。ラブ&サンダーが活躍するエピソードも映画化してほしい。これらは、MCUフェーズ4の作品だが、フェーズ3までの作品の続編となっている。ところが『エターナルズ』は、今まで登場しなかった存在が主役となっている。宇宙の絶対的存在セレスティアルズが作り出した失敗作にして邪悪な存在ディヴィアンツと戦うために作られたエターナルズ。人類にとっては神々に相当する不老不死の存在で、蘇ったディヴィアンツとの戦いを描く。神レベルに強いはずなのに、今までの超人たちと変わったところが見えない。MCUの話の中心がエターナルズへと移行していくのなら、それでもいいが、そうでないならこの作品は唐突に思える。フェーズ4の『シャン・チー』と『エターナルズ』は要らなかったんじゃないかな。
 なお『モービアス』もマーベル作品だが、これはMCU作品ではない。『ヴェノム』などソニーのほうのユニバースになる。「スパイダーマン」に登場するヴィランのモービアスというキャラは知らなかったが、映画としては『ヴェノム』のほうが面白い。
 DCUの『ザ・バットマン』はDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)の作品。DCの中でもバットマンを主役にした作品にハズレはないように思うが、これもなかなか面白い。本来『バットマン』は探偵ものだったわけだが、これはヴィランをリドラーにして、その要素を強く出している。『ジャスティス・リーグ』などのバットマンは貫禄がつきすぎだが、この作品ではまだ悩み多き若者であるのも新鮮だった。このバットマンとホアキン・フェニックスのジョーカーが共演したら、人間ドラマになってしまう。『スーパーガール』はTV版。じつはシーズン1は1話を見て全話録画しておいたのだが、HDDの都合で全話削除してしまった。そこで買った次第。
 007シリーズは今まで全作劇場で見たのに『ノータイム・トゥ・ダイ』だけは見られなかった。ダニエル・クレイグ版の完結編となるが、007シリーズは、今まで007を演じる役者が変わっても、同じジェームズ・ボンドであることは変わりがなかった。その設定を本作で壊してしまって、次作はどうするつもりなのだろう。

●写真・左から2枚目
『デューン:砂の惑星』は、昔見たデビット・リンチ監督版は退屈に感じた記憶があるが、今回は面白く見ることができた。ただし見てから知ったのだが、これは前篇(リンチ版の半分)で、後編が近々公開されるとのこと。それにしてもこうしたSFを見るたびに思うのだが、宇宙を自由に航行する時代になっても、皇帝やら貴族やらが出てくる世界は正直飽きた。『レミニセンス』は海面の上昇により水に浸かった都市が舞台の、フィルムノワール的なSF。記憶を甦らす機械の操作に長けた主人公が、失踪した愛する女性を記憶の世界から探そうとする。雰囲気ある世界観はよかった。
『ラストナイト・イン・ソーホー』にも時代の雰囲気がある。ソーホーのデザイン学校に入学した少女が、毎夜見る夢の中で60年代に行き、歌手を目指す少女と一体化するが、その少女が殺されてしまう。殺人犯が現代でもまだ生きている可能性があると気づき、事件の真相を追うという話。どんでん返しもあってスリラーにはなっているが、考えてみれば設定からして無理やり。『ナイトメア・アリー』のギレルモ・デル・トロは好きな監督だが、今までのデル・トロ作品らしさは少ない。時は1939年。ショービジネスでの成功を夢見る男が、カーニバルの一座で得た読唇術を武器にトップの興行師となるが、やがて悪夢のような転落が待ち受けていた。名優たちの演技も見ものだが緊張感を保って見続けるにはちょっと長い。
『ガンパウダー・ミルクシェイク』は女殺し屋サムが、殺してしまった男の8歳の娘を守りつつ雇い主だった犯罪シンジケートと戦うはめになるという話。サムは12歳のとき、やはり殺し屋だった母親に捨てられた経験があり、少女を守らないわけにはいかなかった。そして戦いには、母親とその仲間が加勢する。主演は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のネビュラを演じるカレン・ギラン。まったくわからなかった。女性のアクションというと、クロエ・グレース・モレッツ主演の『シャドウ・イン・クラウド』。第二次大戦下、最高機密を運ぶ任務で爆撃機に乗り込んだ女性大尉が、高度2500メートルでグレムリンに遭遇する話。グレムリンといっても、同タイトル映画の怪物とは違って人間並に大きいが、結局クロエにボコボコにされる。『ブレット・トレイン』は、伊坂幸太郎の小説の映画化で、日本の新幹線が主な舞台だが、新幹線は現実とはかなり違っている。コメディに寄ったアクションだが、デヴィッド・リーチ監督はスタントマン出身の監督でアクション映画を多く撮っており、アクションを見ているだけでも飽きない。『魔女がいっぱい』は魔女に詳しい祖母と孫の少年が、ホテルで偶然魔女の集会に出くわしてしまう。少年と仲間たちは大魔女に見つかり、ネズミに姿を変えられてしまうが……。大魔女を演じるアン・ハサウェイなら、さぞかし凄い魔女になるだろうと期待したが、それほどでもなかった。

●写真・中央
 全作のコメントを書いていると長くなるので、ここからは2作ずつ。
『グリーンブック』と『ドライブ・マイ・カー』は雇われ運転手と客の芸術家が、同乗している間に互いに自身の心に対して新たな発見をする話。『ドライブ・マイ・カー』は2022年度のアカデミー賞で国際映画賞を獲るなど各映画祭で多く受賞し、近年の日本映画の代表作といえるだろう。ただ、アカデミーで作品賞を獲れなかったのは、2019年に似た設定の『グリーンブック』が作品賞を獲っていたからかも知れない。
『グリーンブック』の舞台は1962年。ナイトクラブで用心棒をしていた男が、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才黒人ピアニストのツアー運転手に雇われる。演奏ツアーは人種差別の強い南部を回るものだった。ツアーでの出来事を経て、運転手は黒人への偏見が減り、芸術家は頑なな心を解いていく。「差別」という外敵がはっきりしているので、二人が心を通わせていくさまもわかりやすく、心地よい。一方で、白人が黒人を救うパターンから抜け出せていないという批判も強いらしいが、実話を基にしているのだから、誇張はあるにせよ、実際にこのようなことがあったのじゃないのかと思う。ただ、実話なのに極めてドラマ的であり、登場人物の内面さえ外から見ているだけでよくわかるエンターテインメントになっている。
『ドライブ・マイ・カー』は突然妻に死なれた舞台俳優が、2年後、広島の演劇祭に演出家として招かれて愛車で赴く。だが、主催者側の意向で、離れた宿と稽古場を通うには専属の運転手をつけることになる。運転手は有能で寡黙な若い女だったが、重い過去を背負っていた。演出家は秘密を残して死んだ妻へのわだかまりから逃れないでいたが、妻の不倫相手だった役者から妻の秘密の一端を聞く。役者は暴行事件を起こして降板し、演出家自身が俳優に復帰するか決めかねたとき、演出家は運転手の故郷である北海道に連れて行くように頼み、二人は互いの心を打ち明ける。こちらはフィクションなのにドキュメンタリー的であり、内包された意味は見ているだけではよくわからない。劇中劇としてチェーホフの戯曲『ワーニャ叔父さん』が使われているが、劇と現実がシンクロしている個所もあり、考えながら見ていないと意図がわからなくなる。また、演出家が役者たちに対して、稽古では人物の気持ちを考える必要はなく、セリフを棒読みにしろ、と言う。これは各自の演技を排除するということなのだろう。そして、じつは映画の中で演出家も運転手も不倫相手の役者も、過去を語り秘密を打ち明けるときは棒読みなのである。つまり過去も秘密もそこに演技(嘘)はないことになる。こうした日本映画の、考えながら見なければならない作り方はけっこう疲れる。とはいえ、この映画を見た私の印象は「不幸話の後出しジャンケン」だった。

●写真・右から2枚目
 映画がヒットすれば、元々続編の企画がある場合はもちろん、ない場合でも無理やり続編が作られることはよくあるし、あっても当然だろう。ヒットしたおかげで続編に製作費をかけられるので、正編よりむしろ「2」のほうが面白いことも多い。『エイリアン』や『ターミネーター』がその例だろう。だが、両者とも「3」以降続編が4編作られているが、どれも面白くない。正続のヒットにあやかっていつまで夢を見ているのかという話だ。忘れられた頃になってヒット映画の続編を作るのも勘弁してほしい。単に企画力がないのか、完結した作品に、蛇足をつけて作品を貶めないでほしいと思う。『ブレードランナー』などは続編公開まで35年経っている(映画の中の経過時間は30年)のだ。若者は正編など見ていないだろうし、年寄りは見ても内容を覚えていない(笑)。蛇足作品を作る意味があるのだろうか。もっとも『トップガン』の成功例もあるから困る。『トップガン:マーヴェリック』は正編の36年後に公開され、興行的に大成功を収めた。ただこれは例外である。正編がトム・クルーズの実質的な出世作であり、公開時まだ24歳と若く、その後ずっと第一線で活躍し続けているからだろう。正編を見ていなくても楽しめる内容で、蛇足というより独立した続編であることも大きい。一般的には、蛇足作品が面白かった例はない。
 で、『マトリックス:レザレクションズ』だが、『マトリックス』は3部作で完結したはずじゃなかったのか。何なら第1作だけでも私はよかったと思うが、3作まとめて完結感があるからよしとしよう。今さら続編など見たくなかった。これは明らかに蛇足の内容である。またもやマトリックス(仮想世界)にとらわれたネオはゲーム・デザイナーとして、自作の「マトリックス」3部作というゲームを大ヒットさせていた。ネオの記憶はゲームのストーリーだと思い込まされていたのだ。そしてまた、会社から「マトリックス4」というゲームを作るように命令されていた。まるで映画をゲームに置き換えたパロディだが、笑えない。なぜもう一度マトリックスにとらわれる話を繰り返すのか。映像的な魅力は劣っていないが、進化も新鮮味もない。
『ゴーストバスターズ』は、超常現象を研究していた博士たちが大学を解雇され、ゴーストを退治する会社を開業するという話。1984年に正編、89年に「2」が公開された。それから20年以上経って続編を作ろうとする企画が持ち上がったものの、主役陣の一人であるハロルド・ライミスが亡くなったため、続編ではなく、リブートとして主役陣を女性に変えた女性版が作られた。それが『ゴーストバスターズ(2016)』である。私は、主役陣より会社の受付係にクリス・ヘムズワースが出ていたのが印象に残っている。『マイティ・ソー』で注目され、『ラッシュ:プライドと友情』『白鯨との闘い』などの大作が続いていたクリスの出演シーンはほとんどアドリブ演技だったそうで、彼のコメディ・センスが垣間見られた。ただ、このシリーズは2021年に『ゴーストバスターズ:アフターライフ』というハロルド・ライミスが演じた博士の孫娘とその仲間が活躍する正統な続編が作られたため、なかったことになってしまった。無理に作る必要はなかったのだ。「子供版」は、さらに続編が作られる予定らしい。

●写真・右
 DVDでは、見たことのない旧作や劇場未公開作も買っている。いや、今でこそ映画館へほとんど行けないので新作を買うことが多くなっているが、本来はそちらのほうが主であった。
『モンスターズ:地球外生命体』は「クエンティン・タランティーノ、ピーター・ジャクソン、リドリー・スコットといった世界のトップ・クリエイターが絶賛した超低予算にして超A級のモンスター・パニック・ムービー!」と書いてある。「超低予算」は引っかかるが、見てみたくなる宣伝文句である。地球外生命体が増殖し、危険地帯としてメキシコの半分が隔離された近未来。現地にいたカメラマンが、上司から怪我をした社長令嬢をアメリカの国境まで送り届けろと命令を受ける。国境は2日後に封鎖されるのだ。だが、カメラマンのミスから二人は港に取り残されてしまう。残る方法は危険地帯を横断して国境に向かうことしかなかった。モンスターはともかく、人間がしっかり描かれているから見ていられるのだろうとは思う。
『宇宙快速船』は1961年7月公開の東映作品。子供向けの夏休み映画で、同時期に東宝は『モスラ』を公開しており、ちょっと分が悪い。海王星から飛来した宇宙船が地球を攻撃するが、宇宙科学研究所のエレキバリアで防御する。海王星人は地球を凍らせようとするが、再びエレキバリアの高熱によりのその企みを粉砕する。だが、海王星人の宇宙船をバリア内にとどめてしまったため、宇宙船から複数の小型宇宙船が飛び立ち、街や避難する人々を攻撃し始める。街を攻撃するシーンは、当時としてはよくできている。子供向け映画なので研究所の所長の息子・健一を中心とする6人の少年たちが話の中心となるが、彼らが危機に陥るたびに現れるのがアイアンシャープという謎のヒーローだった。その正体は研究所の青年科学者・立花真一で、空も飛ぶスーパーカー快速宇宙船に乗り、海王星の小型宇宙船を撃墜し、アルファ電子ロケットで宇宙本船も爆破する。宇宙船といっても宇宙空間で戦うわけではない。61年の4月にTV放送が終了した『ナショナルキッド』が東映の初の特撮ヒーロー物だったが、それをベースに製作したという。アイアンシャープ役の千葉真一にとっては、『新・七色仮面』(2代目)、『アラーの使者』に続いて3回目のヒーロー役である。

【ヒロピン】
 いつ頃できたのかわからないが、「ヒロピン(ヒロインピンチ)」というジャンルがある。映像に限るのかまんがや小説も含むのかわからないが、「特撮ヒロインピンチ」と呼ぶこともあるので、狭義には特撮映画やドラマなのだろう。たとえば、戦隊ものの特撮ドラマのヒロインが敵に捕まってピンチに陥るという状況を楽しむのである。私は詳しくないが、TVなどの特撮ドラマの、ヒロインがピンチに陥るシーンを楽しむというアブノーマルな好みから始まって、そのシーンに重点を置いた作品が作られるようになったのかも知れない。私が初めて見たのは、12、3年前だったと思うが、ヒロインメディアのDVD『雪姫七変化』という作品で、「インディーズ系ヒロピンジャンルの決定版!」と惹句があり、「容赦なき淫獄の責苦に耐えられるか?雪姫!」と書いてあった。このときに「ヒロピン」というジャンルを知ったのだ。話はよくわからないしつまらないのだが、雪姫役の女優が撮影直前に降板し、急遽素人を代役に立てたということらしく(真偽は不明)、素人が主役になるというピンチと相俟って、主役女優に妙に生々しさが感じられた。この会社には『愛の戦士パルテオン』『小悪魔大戦』などもある。これらもつまらなかったが、他社のヒロピンものはそれ以上につまらなく見た時間を無駄にした。ただ、ビッグビーチエンタテインメントの『マイティレディ』シリーズだけは、監督の意欲が伝わるちゃんとした作品だった。優希とか木嶋のりことか知っている女優が出ているだけでも、安心感がある(笑)。

 そんな中、私の目に止まったのが「ZENピクチャーズ」だった。要するに特撮ヒロイン(ヒロピン物)の映像ソフトを専門に製作している会社である。じつは「GIGA」という特撮ヒロピン物のアダルト・ビデオの製作会社もある。「ヒロピン」の性質上、拘束、拷問、凌辱といったSM的なアブノーマル度が高くなれば、むしろRー18のアダルト・ビデオにならないほうが難しいぐらいである。この二つの会社は同じビル内にあるので関連会社なのだろうが、ZENのほうは一般向け作品と、まったくの別物になっている。というか、私はGIGA作品は見たことがないので、どの程度の差があるかはわからない。ただ、以前はそれぞれに幾つかのレーベルがあり、その中間的な作品もあった。たとえばZENの中の「白娘(パイニャン)」というレーベルの作品はR−15で、ほとんどがバッドエンド(ヒロインが死んだり洗脳されたりして終わる)だった。今はそれらのレーベルはなくなったようで、アダルトのGIGAと一般向けのZENに分かれているようだ。
 ZENが一般向けとはいえ、ヒロインがピンチになり痛めつけられるのを楽しむのだから、マニアックで背徳的な面があるのは否めない。ただ、元々特撮アクション作品が好きな人なら、そのプラス・アルファの魅力にハマってしまうだろう。私もそうだった。2年ぐらいの間に手当たり次第に30本以上を見たと思う。その結果、潮が引くように冷めてしまった。

 その理由の一つは「ストーリー」にある。全体に大道具小道具、ロケ地やキャストがちゃちなのは、そう思って見ているから構わない。ただどうしてもストーリーがしっかりしているわけではなく、幾つかのパターンの繰り返しなので、飽きてしまうのである。ただ、ZEN作品のほとんどがハッピーエンドなのは、やはりヒロインの活躍を見たい私としては救いだった。敵に殺されて終わるという作品は、私には後味が悪い。でも、そういう作品を好きな人もいるのかも知れない。
 もう一つは主演女優の魅力である。姿形は、地下アイドルやグラドル、AV女優が出演しているのでみなそれなりに美しかったり可愛かったりするが、魅力を感じるかどうかは個人の好みである。また、ドラマなのだからやはり演技力は必要である。それほどの演技力は必要とされていないのだが、棒読みセリフでは興ざめとなるし、痛めつけられるシーンでも演技力の有無でだいぶ迫力が違ってくる。あとはアクション。敵役がアクションができる役者やスタントマンなのである程度はごまかせるのだが、まったくアクションになっていない女優も多い。井口昇監督作品の常連女優の亜紗美が初期のZEN作品の数本に出演しているが、さすがに演技もアクションも申し分ない。というよりZEN作品にはもったいない。辻彩加という女優は子供の頃からアクションを習っていた(TVで見たことがある)ので、多くのZEN作品に出演してアクションに見応えがあり、もっと表舞台でも活躍してほしかったが、残念ながら引退してしまった。

 ZEN作品に冷めたと書いたが、じつはその後も大川成美の作品だけは購入し続けている。私が一番最初に買ったZEN作品は、『マリオネットソルジャー』という作品で、主演のグラドル・赤松唯は演技もアクションもまるで下手だった。もっともこれがデビュー直後の出演で、後には舞台や映像などで女優としても活躍していることは注記しておきたい。ただ、それでもとにかく可愛らしい魅力に溢れていた。拘束されたり痛めつけられたりするシーンもあるが、ちょっと変わったイメージビデオと思えば、赤松の可愛らしさだけで見られるのである。それでZENのヒロピンに興味を持った私は次も買ってみようと思い、二番目に買ったのが大川の『太陽の戦士レオーナ』だった。今から思えばそのときの大川は、まだ演技もアクションもそれほどではない(その後、着実に上達している)が、何しろ赤松を見た直後だったので、かなり巧いと感じた。敵の怪人の心情が描かれたストーリーも、なかなか趣があった。何よりも大川成美の、赤松とはまた違った魅力、まさしくヒロイン顔とでもいうのだろうか、そこにハマった。そんなわけで、他のZEN作品を買わなくなってからも、大川作品だけは買っているのである。
 上の画像は大川レオーナ・シリーズの18作目『太陽の戦士レオーナ』である。大川作品については、機会があればまた書こう。
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